デュシャン(Marcel Duchamp)(読み)でゅしゃん(英語表記)Marcel Duchamp

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

デュシャン(Marcel Duchamp)
でゅしゃん
Marcel Duchamp
(1887―1968)

フランスの画家。7月28日ノルマンディー地方ブランビルに公証人の子として生まれる。長兄は画家ジャック・ビヨン次兄は彫刻家レーモン・デュシャン・ビヨン。1902年から絵を描き始め、04年にはパリに出て、10年ごろまで印象派や後期印象派、フォービスムなどの影響下で制作する。キュビストのグループ「セクシオン・ドール」の拠点となったパリ近郊ピュトーの兄たちのアトリエでしだいにキュビスムの教えを吸収していくが、連続写真などから刺激を受け、本質的に静的なキュビスムの表現とは異なる運動過程の表現に関心を向けていった。同時に機械のイメージに取りつかれ、人体を機械的な性のオブジェの運動としてとらえるようになる。こうして12年には『階段を降りる裸体、第二番』(フィラデルフィア美術館)をはじめ、『急速な裸体たちに囲まれた王と王女』『処女から花嫁への移行』『花嫁』などが矢つぎばやに描かれた。しかし翌年、網膜的芸術(カンバス上に観念を構築することなく目のためにのみ制作される芸術)には関心を失ってゆき、絵を描く行為をほとんど放棄するようになる。さらには瓶掛けや雪かきシャベル、男性用便器などの量産品に署名するだけでそれらを芸術作品に移行させ、伝統的な芸術の概念や手仕事の特権性に嘲笑(ちょうしょう)を浴びせかけた。こうしたオブジェは「レディーメイド」と総称された。

 デュシャンは1915年アメリカに渡り、以後おもにニューヨークに住み、55年にはアメリカ市民権を得ているが、15~23年、ガラス板の大作彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(通称「大ガラス」、死後フィラデルフィア美術館に寄贈)に取り組み、愛と欲望形而上(けいじじょう)学を機械的イメージとして表現した。そこでは花嫁と独身者とは永遠に交わることはなく、独身者たちはそれぞれ不毛な自慰行為にふけっている。その後デュシャンは「芸術」を放棄してチェスに没頭する日々を送るが、そうした生き方自体、表現行為に対する嘲笑として少なからぬ影響を及ぼした。68年10月2日、ヌイイに没。しかし死後、秘密裏に制作された作品『一、水の落下、二、照明用ガス、が与えられたとせよ』(1946~68)が遺言によって公表されるに及び、制作せざる芸術家という伝説そのものが否定されるに至った。デュシャンは数少ない作品と、「グリーン・ボックス」や「ホワイト・ボックス」などに集められたおびただしい数のメモを残し、その思想と生き方そのものによって既成の芸術概念を否定し、現代美術の動向に計り知れない影響を与えた。

[大森達次]

『瀧口修造訳『マルセル・デュシャン語録』(1968・美術出版社)』『東野芳明著『マルセル・デュシャン』(1977・美術出版社)』『ジョン・ゴールディング著、東野芳明訳『アート・イン・コンテクスト8 マルセル・デュシャン/彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(1981・みすず書房)』

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