デーリーメール

精選版 日本国語大辞典 「デーリーメール」の意味・読み・例文・類語

デーリー‐メール

(Daily Mail) イギリス新聞。朝刊紙。一八九六年、ノースクリフ卿が半ペニーで売り出し、一九六〇年「ニューズ‐クロニクル」と合併、七一年には「デーリー‐スケッチ」を吸収合併した。保守系の大衆紙

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デジタル大辞泉 「デーリーメール」の意味・読み・例文・類語

デーリー‐メール(Daily Mail)

英国日刊新聞。1896年創刊。中立系で保守的な立場をとる大衆紙。1960年「ニューズクロニクル」を合併。発行部数は204万7206部(2011年6月)。

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改訂新版 世界大百科事典 「デーリーメール」の意味・わかりやすい解説

デーリー・メール
Daily Mail

イギリスの大衆紙。ノースクリッフにより1896年創刊された。8ページ建てで,紙代は破格の1/2ペニーであった。1面は広告にあてる伝統の型を守りながら,要約した簡潔なニュース記事を多くもり,おもしろい読物を入れ,保守派はオフィスボーイによって書かれたオフィスボーイのための新聞と酷評したが,世紀末急速に増えつつあった新中間層を基軸とする新読者層の要求にこたえる大衆朝刊紙となった。創刊号は40万部近く売れ,3年後には50万台,4年後には70万台と急上昇した。営業収入の比重を販売収入より広告収入に移し,部数を公認会計士に監査させ,それを紙上に公表して広告主の関心を集めた。また株式会社にして資金を集めるなど,20世紀大衆新聞の経営上の原型のほとんどを確立した。1922年ノースクリッフの死後,所有権は弟のハロルド・ロザーミアH.Rothermereに移り,24年170万部,29年には190万部と,1920年代にはイギリス新聞界の首位の座を占めつづけた。第2次大戦後,ロザーミアの次子ハームズワースVere Harmsworthが継承し,社名をアソシエーティッド・ニューズペーパーAssociated Newspaperとした。67年には225万部に達したが,以後は下降をたどり,71年《デーリー・スケッチDaily Sketch》を吸収合併,この時期ロザーミア2世のあとを継いだ3世は大改革にのり出し,70年代に高級紙と大衆紙の中間を狙う中級紙に変質,定着した。80年に夕刊紙イブニング・スタンダード》を買い,82年に日曜紙《メール・オン・サンデー》を出して現在に至る。部数は依然として200万前後である。
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世界大百科事典(旧版)内のデーリーメールの言及

【イギリス】より

…日本との対比で特色をあげれば,まず第1に新聞が歴史的な階層構造を反映して,《タイムズ》《ガーディアン》などの〈高級紙(クオリティ・ペーパー)〉と,政治経済などの堅い話題,難しい議論にはできるだけ触れず,犯罪,スポーツ,性など娯楽的情報に力点をおく,《サン》《デーリー・ミラー》などの〈大衆紙popular paper∥mass paper〉とに截然と分かれていた点である。だが1970年代からは《デーリー・メール》,《デーリー・エキスプレス》の2紙がその中間を志向する中級紙として再出発し,現在は3層構造となっている。さらに,第2次大戦後は,マス・メディアのあり方(制度,内容,経営)について,議会の〈王立委員会Royal Commission〉を軸にして徹底した調査・検討,改善案の提出がなされ,公表される報告書を土台に,それなりに〈大衆的〉な討論,改良への〈合意〉形成の努力が続けられていることも大きな特色である。…

※「デーリーメール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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