トマリ(読み)とまり

デジタル大辞泉 「トマリ」の意味・読み・例文・類語

トマリ(Tomari/Томари)

ロシア連邦サハリン州(樺太)南部の町。ユジノサハリンスク北西約170キロメートル、間宮海峡に面する。1945年(昭和20)以前の日本領時代には泊居とまりおるとよばれ、現在も当時の製紙工場跡や神社跡がある。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「トマリ」の解説

トマリ
とまり

漢字表記地名「泊」のもとになった地名。クナシリ島南端の湾口に位置し、コタン名のほか湊(泊)の名称としても記録されている。天保郷帳には「クナシリ嶋」のうちに「トマリ」とみえ、当地一帯近代に入り泊村に包含された。仮名表記は「トマリ」のほかには異表記をみない。漢字表記は「登麻利」(児山「蝦夷日記」)がみられる。語義について木村蝦夷日記」は「日本ニテ云澗かゝり、湊ノ類語」(寛政一〇年六月二九日条)と記し、「東夷周覧」は「止ルト云事ナリ、休泊ノ所故ニ舟トマリト云。意ニテ日本人トマリト云習ハシケルヲ、夷人聞覚ヘテトマリト唱ヘ来レルト云」と日本語に由来するとする。「蝦夷日誌」(三編)には「訳而船泊りなり。

トマリ
とまり

トカチ場所のヒロウ運上屋(会所)が立並ぶ前面の海域たて岩・烏帽子えぼうし岩・二見ふたみ岩などの屹立する岩礁部をさしたとみられる地名。現在の十勝港漁港区内である。元禄郷帳に「とまり」、「蝦夷志」に「トマリ」とみえ、当地を含めてヒロウ(ビロウ)ともよばれた。仮名表記は「とまり」「トマリ」のほか「トマリイ」(谷「蝦夷紀行」)があり、「泊り」(享保十二年所附)もみえる。「津軽一統志」に「とまり 是迄二里計 澗有」とあり、また「三石より三里程下よりとかちの内の由」として「浦川(中略)とまり、とかち、右の三石よりとかち迄一渡の由申候」とみえる。

トマリ
とまり

フルヒラ、弁才泊の北にある。「トマリ」(西蝦夷地日記・観国録)、「トマリエサン」(「蝦夷日誌」二編)、「トマリアサン」(廻浦日記)、「トマリアサム」「トマリサン」(板本「西蝦夷日誌」)、「トマリサム」(「フルビラ場所絵図」増田家蔵)などとあり、泊(観国録)の漢字表記がみられる。

トマリ
とまり

漢字表記地名「泊」のもととなった地名・河川名。「西蝦夷地日記」にシマコマキの運上家があるところはトマリというと記され(かつてはホロムイにあったという)、「夷家九軒」とある(文化四年八月二三日条)。天保郷帳ではシマコマキ持場のうちとしてトマリがみえる。「廻浦日記」にシマコマキ運上屋元とあり、「運上屋下船澗によろしき故此名有る也」という。

トマリ
とまり

コタン名のほか、河川名などとしてみえる地名。「蝦夷日誌」(二編)にリイシリ運上屋はホントマリにあると記される。「廻浦日記」にトマリとみえ、「運上屋有。土人共住す。当時家数九軒、人別三十七人(中略)文政度御引渡しの時は二十八軒、人別百十六人有しと聞り。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「トマリ」の意味・わかりやすい解説

トマリ
Tomari

ロシア連邦,サハリン(樺太)南西岸にある最北の不凍港。旧日本名は泊居(とまりおろ)。人口8300(1993)。日本領時代の1915年樺太工業会社のパルプ工場設立とともに発展し,18年には泊居支庁の所在地となった。またサケ,マス,コンブカニなどの漁業も盛んで,カニ缶詰工場があり,また清酒の醸造所もあった。樺太庁鉄道西海岸線の要衝として人口は41年には1万1177を数えた。45年ソ連併合後も製紙コンビナートや漁業コンビナートが置かれ,家具工場や人造石材工場のほか,ビール醸造所もある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トマリ」の意味・わかりやすい解説

トマリ
とまり
Томари/Tomari

南樺太(からふと)(サハリン)西海岸の小都市。1945年(昭和20)以前の日本領時代には泊居(とまりおる)と称した。

[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android