日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
トムソン(William Thompson)
とむそん
William Thompson
(1775―1833)
リカード派社会主義者。アイルランド、コークの大地主・富豪の家庭で育ったが、数度のフランス旅行で得たフランス革命の影響やサン・シモン派の人々との接触から、資本家・地主と労働者・農民との貧富の大きな格差、信仰による差別などの社会的矛盾を痛感し、その改善に生涯を捧(ささ)げた。まずベンサムの功利思想に基づく教育改革を『アイルランド南部に対する実践教育』Practical Education for the South of Ireland(1818)で提唱し、ついで資本制社会の個人間競争を排撃し、オーエンの協同組合村の構想に立脚した、土地・生産手段の共有と自発的意思による相互協働と各人の労働に応じた平等な分配とを実現する共同社会を『富の分配の諸原理に関する研究』An Inquiry into the Principles of the Distribution of Wealth Most Conducive to Human Happiness(1824)で理想とした。またこの共同社会で初めて女性は男性への従属から解放されうることを『人類の半数を占める女性の訴え』An Appeal of One-Half the Human Race, Women, against the Pretensions of the Other Half(1825)で示し、女性解放と社会改革とが一体であることを明らかにした。晩年はイギリス全土の協同組合の連合を図る全国会議の結成(第1回=1831年5月マンチェスター、第2回=同年10月バーミンガム、第3回=1832年4月ロンドン)に参加し、共同社会の設立計画を策定するなど実践活動を指導した。
[鎌田武治]