ドゥラード(読み)Dourado,Constantino

朝日日本歴史人物事典 「ドゥラード」の解説

ドゥラード

没年:元和6.6.4(1620.7.3)
生年:永禄10頃(1567)
活字印刷術の導入者。肥前諫早(長崎県)出身。天正8(1580)年創設の有馬セミナリオ(神学校)に学び,同10年同宿(伝道士)として天正遣欧使節団に随行リスボンで印刷術と活字の字母の製造法を学び,帰国後キリシタン版の印刷に従事。文禄4(1595)年イエズス会に入り慶長8(1603)年からセミナリオでラテン語とオルガンを教授。同19年のキリシタン禁令マカオに追放され,1616年司祭になる。1618年にセミナリオの院長に就任し1620年同地で死去。渡欧したときのトレドミラノなどの見聞記はフロイスの『使節行記』にたびたび引用されている。<参考文献>フロイス著,岡本良知訳『九州三侯遣欧使節行記』

(五野井隆史)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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