ドナテロ(英語表記)Donatello

デジタル大辞泉 「ドナテロ」の意味・読み・例文・類語

ドナテロ(Donatello)

[1386ころ~1466]イタリア彫刻家。初期ルネサンスを代表する彫刻家で、厳格な写実により人体の力と美を表現した。作「ガッタメラータ将軍騎馬像」など。ドナテルロドナテッロ

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精選版 日本国語大辞典 「ドナテロ」の意味・読み・例文・類語

ドナテロ

(Donatello)⸨ドナテルロ・ドナテッロ⸩ イタリア初期ルネサンスの代表的彫刻家。正確で客観的な写実主義による大理石テラコッタブロンズなどの作品を多く制作。晩年には、表現主義的要素の強い作品も残す。代表作に「聖ジョルジョ」「ガッタメラータ将軍騎馬像」など。(一三八六頃‐一四六六

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改訂新版 世界大百科事典 「ドナテロ」の意味・わかりやすい解説

ドナテロ
Donatello
生没年:1386-1466

イタリアの彫刻家で,ルネサンス彫刻様式の創始者。本名ドナート・ディ・ニッコロ・ディ・ベット・バルディDonato di Niccolò di Betto Bardi。梳毛工を父にフィレンツェに生まれ,1403年の記録ではギベルティの助手として名をあげられているので,おそらく彼の工房で彫刻の修業を積んだものと思われる。彼の確実な初期作品の一つである《ダビデ》(1408-09,フィレンツェ,バルジェロ美術館)には,いまだゴシック様式をとどめているものの,ギベルティの優雅さやナンニ・ディ・バンコNanni di Bancoの荘重な量塊感覚とも異なる,対象への深い内面的洞察から生まれたエネルギーが,写実的造形手法とともにうかがえる。オルサンミケーレ教会外壁ニッチ(壁龕)のための《ゲオルギウス》(1416,バルジェロ美術館)は,すでに古典的精神に裏づけられた均整のとれた理想的形態ゆえに,ルネサンス彫刻の最初の作例と言える。またその台座の浮彫《王妃を竜から救うゲオルギウス》も,同時代の建築家ブルネレスキが研究を進めていた線遠近法が,実際に作品に適用された最初の例として注目される。ほぼ同じころからドナテロは,サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の鐘塔のために一連の預言者像を制作(1415-35)するが,それらは,《ゲオルギウス》の静謐な古典性とは対照的に,写実主義に基づく激しい感情表出と動勢をそなえ,アンドレア・デル・カスターニョやポライウオロ兄弟の人物像の先例をなすものと言える。

 32-33年に,ブルネレスキとともにローマに赴き,古代彫刻を実見し,研究したと伝えられる。実際,《ダビデ》(1434ころ,バルジェロ美術館)や,《受胎告知》(1435ころ,フィレンツェ,サンタ・クローチェ教会)には,古代の彫刻や建築への深い理解が感得される。43年には,パドバに招かれ,以後10年間をほとんど同地で過ごし,制作を行う。パドバでの代表作は,イル・サント(サンタントニオ)教会の高祭壇(1446-50ころ)で,聖母子と聖人の7体の青銅像,22点の青銅浅浮彫,そして《キリスト降下》の石浅浮彫から構成される。そこに見られる人間性をたたえた厳しい人物像の造形表現や,浮彫の大胆な空間処理と動勢描写は,その後の北イタリアの美術に強い影響を残し,とくにマンテーニャの彫刻的な量感と印刻的な輪郭線をもつ画像に,それが顕著である。もう一点の大作ガッタメラータ騎馬像》(1447,パドバ,ピアッツァ・デル・サント)では,理想性に内面的写実性を加味して,傭兵隊長の実在感を力強く表現し,古代ローマのマルクス・アウレリウス騎馬像に匹敵する記念騎馬像を現出させた。

 フィレンツェに帰還後,《マグダラのマリア》(1453-55,フィレンツェ,洗礼堂)や《バプテスマのヨハネ》(1457,シエナ大聖堂)において,苦悩にさいなまれ,かつ耐える聖人たちの様相を,すさまじいまでのリアリズムによって仮借なく暴きだす。彼の遺作となるサン・ロレンツォ教会の説教壇浮彫彫刻(1460-66ころ)では,円熟した個性を自由奔放に発露し,主題を激しくドラマティックに展開させている。ドナテロは66年12月13日に同教会に埋葬された。

 彼が生涯に見せた多様な様式は,それぞれにミケロッツォ,デジデリオ・ダ・セッティニャーノ,ミケランジェロら彫刻家たちにだけではなく,画家たちにも幅広く影響を及ぼした。
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百科事典マイペディア 「ドナテロ」の意味・わかりやすい解説

ドナテロ

イタリア初期ルネサンスの代表的彫刻家。本名ドナート・ディ・ニッコロ・ディ・ベット・バルディ。一時パドバに滞在したほかは,おもに生地フィレンツェで活動した。初めギベルティに学び,大理石彫刻を手がけたが,1420年ころからブロンズに移り,独自の作風を確立。代表作の一つ《ダビデ》(1434年ころ,フィレンツェ,バルジェロ美術館蔵)は古代以来途絶えていた写実的な裸体像として重要。パドバのイル・サント広場の《ガッタメラータ騎馬像》(1447年―1453年)は肖像彫刻としての写実性と,記念像としての理想性とのみごとな融合を示す。他に《ズッコーネ(ハバクク)》(1427年―1435年,フィレンツェ大聖堂美術館蔵),《マグダラのマリア》(1450年代後半,同館蔵)など。
→関連項目アルベルティアンドレア・デル・カスターニョベリーニ[一族]ベロッキオマサッチョマンテーニャミケランジェロミケロッツォ・ディ・バルトロメオロッビア

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドナテロ」の意味・わかりやすい解説

ドナテロ
Donatello

[生]1386頃.フィレンツェ
[没]1466.12.13. フィレンツェ
イタリアの彫刻家。本名 Donato di Niccolò di Betto Bardi。 1404~07年 L.ギベルティの助手としてフィレンツェのサン・ジョバンニ洗礼堂門扉制作に参加。 12年画家組合に登録。主としてフィレンツェで活躍し,オル・サン・ミケーレ聖堂の大理石像『聖マルコ』や『聖ゲオルギウス』 (1415~16,フィレンツェ,バルジェロ国立美術館) ,ブロンズ像『ダビデ』 (35,同) などを制作。古代彫刻の形式に鋭い写実を加え,初期のルネサンス彫刻の確立者となる。 43~53年パドバに移りイル・サント聖堂祭壇浮彫や同聖堂前広場の『ガッタメラータ騎馬像』を制作した。その後生地に戻り木彫『マグダラのマリア』 (54,フィレンツェのサン・ジョバンニ洗礼堂) や『洗礼者ヨハネ』 (シエナ大聖堂) で劇的な作風に新生面を開いた。

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世界大百科事典(旧版)内のドナテロの言及

【イタリア美術】より

…建築では,ブルネレスキが古代ローマ建築を研究して,パッツィ家の礼拝堂などに古典的比例を回復し,アルベルティはウィトルウィウスにならった〈十書〉構成の,ラテン語によるルネサンス最初の建築書を著した。彫刻ではドナテロが古代彫刻の比例とリアリズム,これにゴシックの精神を加えて偉大な先例をつくったが,ベロッキオは表面的な写実に堕したというべきであろう。ベロッキオの弟子レオナルド・ダ・ビンチは,見えるものと見えざるもの,すなわち形式と精神との完璧な表現とその一致を追求し,《最後の晩餐》図によって,古代以来かつてなかった両者の統一を成就した。…

【浮彫】より

…したがって,彫刻の一種の技法と考えることが可能であるが,その視覚的な効果なり技法の本質から見れば,絵画と彫刻の中間に位置するものといえよう。ルネサンス彫刻に新風をもたらしたドナテロが,フィレンツェのオルサンミケーレ教会の《聖ゲオルギウス》の台座のために彫った《竜を退治する聖ゲオルギウス》などがひとつの例である。ドナテロは,ここで,極端に奥行きを浅くし,いわゆる〈押しつぶされた浮彫rilievo stiacciato〉を行っているが,その浅さにもかかわらず,人物の丸味,群像の遠近関係がみごとに表現されている。…

【フィレンツェ派】より

ブルネレスキは,サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂円蓋の完成をはじめ,古代ローマ建築に学んだ比例や幾何学的形態を基本とする建築を試み,数学的遠近法の考案者としても知られる。彫刻家ドナテロは,古典的均衡を示す人体と,ゴシック的な強烈な感情表現との両極端の間を揺れ動きつつ,人間の精神と肉体の真実の描出に到達した。画家マサッチョは,空間表現と人体の量感の描出,さらに人間感情の表出という初期ルネサンス絵画の目標を一挙に達成した。…

※「ドナテロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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