ドルスス(英語表記)Drusus, Julius Caesar

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドルスス
Drusus, Julius Caesar

[生]前13?
[没]後23
古代ローマの軍人。チベリウス帝の子。妻はゲルマニクス・カエサルの妹クラウディア・リウィラパンノニアイリュリクムを平定。 15,23年の2度執政官 (コンスル ) となる。チベリウスの後継者として人気もあったが,L.セヤヌスにそそのかされた妻の手にかかって毒殺されたといわれる。

ドルスス
Drusus, Julius Caesar

[生]7
[没]33. ローマ
古代ローマの軍人ゲルマニクス・カエサルアグリッピナ (大) の子。父が死んだのちチベリウス帝の後継者とされるが,L.セヤヌスによって捕えられ,獄中で死んだ。

ドルスス
Drusus, Marcus Livius

[生]?
[没]前109
古代ローマの政治家。前 122年護民官 (トリブヌス・プレビス ) 。執政官 (コンスル ) の G.ファンニウスとともに G.グラックス (→グラックス兄弟 ) の改革に反対。民会に対する人気取りのためグラックスに対抗してラテン植民市建設案を提出し,グラックスを護民官選挙で落選させた。前 112年執政官。前 110年にはマケドニアに遠征。前 109年戸口総監 (ケンソル ) となる。

ドルスス
Drusus, Nero Claudius

[生]前38
[没]前9
古代ローマの軍人。チベリウス帝の弟。母リウィア・ドルシラはチベリウス・クラウディウス・ネロと離婚して,のちオクタウィアヌス (→アウグスツス ) に嫁したため,若くして昇進し,前9年には執政官 (→コンスル ) となった。前 15~13年ガリアを討ち,ケンスス (人口調査) を行い,ルグドヌム (現リヨン) にアウグスツスの祭壇を建てた。前 12~9年ゲルマニアに進撃,ウェレラ,モグンチアクム (現マインツ) に砦をおき,ケルスキ族,カッチ族などを服属させ,ライン川-北海間に運河を開き,ローマの北方支配の基礎をおいた。エルベ川に達したが落馬がもとで死に,死体はローマで埋葬された。ドルススは妻アントニア (M.アントニウスとオクタウィアの娘) との間にゲルマニクス,クラウディウス (のちの皇帝) ,リウィラの3子をもうけた。

ドルスス
Drusus, Marcus Livius

[生]?
[没]前91
古代ローマの政治家。 M.L.ドルススの子。ルキウス・クラッススを中心とする野心的な貴族グループに属し,雄弁,有能であった。前 91年護民官 (→トリブヌス・プレビス ) となり,騎士身分 (→エクイテス ) の元老院参加,法廷の改革,役人の不当取得禁止,イタリア人への市民権賦与,貧民への土地配分などの政策を進めたがローマ市民と元老院の反対にあい,反対派によって暗殺された。その結果,ローマ市民権を拒否された同盟市は独立を求めて,同盟市戦争に突入した。

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世界大百科事典 第2版の解説

ドルスス【Drusus Julius Caesar】

前13ころ‐後23
ローマの皇族,将軍。ティベリウスが皇帝になる以前に最初の妻ウィプサニアとの間にもうけた息子。アウグストゥス死後のパンノニア軍団の反乱を鎮圧,イリュリクム遠征で功をたて凱旋式を許される。後15年,21年にコンスル。22年にはティベリウスの帝位継承者としての地位を認められたが,セイアヌスと情交関係に陥った妻リウィラLivillaの手引きでひそかに毒殺されたと伝えられる。【弓削 達】

ドルスス【Marcus Livius Drusus】

前124ころ‐前91
ローマの政治家。名門出身の有能な青年として,前105年ころより精力的に官職を歴任。前91年の護民官として,グラックス改革運動失敗以来の政治的懸案を一挙に解決すべく,300人の騎士の元老院議員としての受入れ,拡大された元老院より選出された審判人(裁判官)による刑事法廷の構成,イタリア人へのローマ市民権付与などの法案を提出したが,反対派によって殺され,これがきっかけでイタリア同盟市戦争が起こった。【弓削 達】

ドルスス【Nero Claudius Drusus】

前38‐前9
ローマの将軍。リウィアがのちの皇帝アウグストゥスと結婚して3ヵ月後に生まれた前夫の息子。のちの皇帝ティベリウスの弟。前12‐前9年の間,数次にわたってゲルマニアの平定に出陣,多くの種族を従わせ,ライン~マイン~ウェーザー~マース川の線を砦でつなぎ,防衛線を固めるなどしたが,落馬がもとで死去。国民の間での人気が高く,壮大な葬儀ののち,アウグストゥス霊廟に葬られる。彼の功績をたたえ,彼とその子孫にゲルマニクスGermanicusの称号が与えられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドルスス
どるすす
Nero Claudius Drusus
(前38―前9)

古代ローマの政治家。皇帝アウグストゥスの妻リウィアと前夫クラウディウス・ネロの間の第2子。兄は後の第2代皇帝ティベリウス。父の死後アウグストゥスに養育され、紀元前15年、兄とともにラエティアRaetia(現在のドイツ南部、ドナウ川上流域)平定作戦に参加。翌年ガリア三州の統治をゆだねられ、ケンスス(戸口調査)を断行。これに反発して起こった暴動を鎮圧したのち、ルグドゥヌム(現在のリヨン)に「ローマとアウグストゥスの祭壇」を設け、ガリア諸族に皇帝礼拝を行わせた。皇帝の信任を得て前12年以降四度にわたるゲルマニア侵攻を指揮、艦隊通過のために運河まで開削する大規模作戦でライン、エムス川下流域の諸族を破り、カッティChatti、スエビSuebi、ケルスキCherusciなどのゲルマン諸族の抵抗を受けつつエルベ川に達したが、前9年、落馬がもとで宿営地で病没した。妻アントニア(三頭政治家マルクス・アントニウスの娘)との間に、ゲルマニクス、リウィッラ、クラウディウス(第4代皇帝)の3子がある。[栗田伸子]

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