精選版 日本国語大辞典 「ドレフュス事件」の意味・読み・例文・類語
ドレフュス‐じけん【ドレフュス事件】
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19世紀末から20世紀はじめにかけ,フランス世論を二分したスパイ冤罪(えんざい)事件。事件は,1894年12月,軍法会議が参謀本部付砲兵大尉アルフレッド・ドレフュスAlfred Dreyfus(1859-1935)に対し,軍事機密漏洩罪で位階剝奪と流刑を宣告したことにはじまる。パリ駐在ドイツ武官シュワルツコッペンの屑籠から入手された売渡し機密の明細書の筆跡が,ドレフュスのものと判定されたのだが,有罪の根拠は,実はひそかに提出された秘密文書で与えられていた。ドレフュスがユダヤ人だったことから,反ユダヤ主義の新聞がキャンペーン材料とすることになり,事件は世に広まった。一方,大尉の兄マチューは大尉の無罪を確信し,ユダヤ人ジャーナリスト,ベルナール・ラザールの助力をえて救援活動を開始した。だが,やがて上院副議長シュレル・ケストネルや知識人の一部が援助しはじめるとはいえ,運動は微弱にとどまった。そのころ軍の情報部長に新任されたピカール中佐は,真犯人がエステラジーという少佐だと確信するにいたり,そう公言したが,逆に左遷されてしまう。マチューによって真犯人として告訴されたエステラジーも,無罪放免される。ドレフュス派は少数にとどまり,少なくとも表向きは反ドレフュス派が優勢であった。反ドレフュス派には,反ユダヤ主義,愛国主義的右翼,強固な軍部による対独復讐をうたう軍国主義など,現存する共和体制に不満をもつ雑多な潮流が流れこんだ。うち続いた疑獄事件は一般の政治不信をもたらしていたし,ユダヤ人の富豪ロスチャイルドに代表される上層金融資本と政界との癒着を告発する反ユダヤ主義的愛国主義は,大衆にもある程度の支持を見いだしていた。
救援運動が挫折したかにみえた1898年1月,文豪ゾラが,〈われ糾弾す〉と題した大統領あて公開書簡を《オロール》紙上に発表し,大反響がまきおこる。ゾラの書簡とJ.ジョレスの一連の貢献により,冤罪は決定的に明白にされていく。だが事件は,もはや単なる個人の冤罪問題をこえて政治問題化していた。左派と共和派の一部は人権同盟を組織してドレフュス救援に動き出し,共和体制擁護のブロックをつくり,極右の一部はクーデタすらねらった。有罪の根拠にされた文書が偽造されたことを,その偽造者アンリ大佐が自白し,その直後に謎の獄死をとげるにおよんで,いよいよ世論は沸騰した。軍の権威を死守しようとする軍上層部は,ドレフュス無罪化の動きに歯止めをかけるべく,99年8月末からレンヌで開かれた再審軍法会議でも,再び有罪を宣告した。そこで大統領ルーベは,ただちに恩赦を与えることで,問題自体の解消と世論の鎮静をはかった。ドレフュスは一貫して無実を主張したが,彼が無罪を認められて完全に復権するのは,1906年である。事件は,新聞と世論の力の台頭を強く示したが,また反ユダヤ主義や反体制極右が政治の舞台にはっきりと登場することをもうながし,事件を生きた多くの人々,ことに知識人の中に大きな傷痕を残したのである。
執筆者:福井 憲彦
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1894年フランスに起きたスパイ事件。ユダヤ系のドレフュス(Alfred Dreyfus,1859~1935)大尉はドイツのスパイとして終身刑に処せられたが,96年に真犯人が明らかとなったので再審要求の運動が起こされた。この運動はドレフュス個人を超えて,人権と民主的共和政を守ろうとする左翼・進歩的共和派と,再審は軍と国家の権威を落とすとする軍部,共和政否定の右翼,カトリック教会,反ユダヤ主義者との大闘争に発展した。98年クレマンソーの新聞『オーロール』に載ったゾラの「わたくしは弾劾する」が契機となって共和派が勝利を収め,ドレフュスは99年に再審ののち特赦された。
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… ヘブライ語の復活をはじめユダヤ人の伝統文化の再活性化こそユダヤ人国家建設の基礎であり,また新国家の課題でもあると考える,この文化的あるいは精神的シオニズムに対し,ヘルツルら西ヨーロッパ諸国の社会にみずからは同化し,ユダヤ人文化とユダヤ教に対してはまったく,あるいはほとんどまったく関心をもたず,ユダヤ人国家をロシア,東ヨーロッパのユダヤ人のための〈世界的なゲットー〉(ヘルツル)として,もっぱら政治的な手段によりその建設をはかろうとする人びとの運動は,政治的シオニズムと呼ばれる。ドレフュス事件に衝撃をうけ,同化によってはユダヤ人に対する差別・迫害は克服できないと考えたヘルツルは,《ユダヤ人国家Der Judenstaat》(1896)で,ユダヤ人国家の建設を構想するにいたったが,彼の場合,パレスティナはあくまで選択の一つの可能性でしかなく,むしろ一時期アフリカのウガンダでの国家建設を真剣に検討したことは特徴的である。シオニズム運動は,バーゼルでの第1回シオニスト会議(1897)により世界シオニスト機構を設立して組織的統一を果たし,ヘルツルをその指導者としたが,第1次世界大戦以前はユダヤ教徒のなかでも,少数者の夢想とあざけられ,神に対する冒瀆と非難され,あるいは反ユダヤ主義を刺激するものと批判され,少数者の運動でしかなかった。…
…彼はまた《ル・タン》誌の文芸時評を担当して,ブリュンティエール流の〈独断批評〉に対立する〈印象批評〉を世にひろめた。こうして1896年にアカデミー・フランセーズ会員に選ばれるが,ドレフュス事件に際してはゾラらのドレフュス擁護派にくみした。これを契機として,《ジェローム・コアニャール氏の意見》(1893),《赤い百合》(1894)の作家は,徐々に政治や社会への関心を深め,四部作長編小説《現代史》(1897‐1901)を発表し,さらには社会主義へと傾斜していく。…
※「ドレフュス事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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