ドロン(英語表記)Delon, Alain

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドロン」の意味・わかりやすい解説

ドロン
Delon, Alain

[生]1935.11.8. ソー
フランスの俳優。フルネーム Alain Fabien Maurice Marcel Delon。きわだつ美貌で注目を集め,1960~70年代のフランス映画界を代表する男優となった。食肉加工店で見習いをしたのち,フランス海軍に入隊して第1次インドシナ戦争(1946~54)に従軍。1957年カンヌ国際映画祭アメリカ合衆国の映画制作者デービッド・O.セルズニックから声をかけられたが,ハリウッドの映画会社との契約は断り,ヨーロッパの監督のもとで修業を積む道を選ぶ。初主演作品は『恋ひとすじに』Christine(1958)。その後,『太陽がいっぱい』Plein soleil(1960,ルネ・クレマン監督),『若者のすべて』Rocco e i suoi fratelli(1960),『地下室のメロディーMélodie en sous-sol(1963)で一躍国際的な注目を浴びる。フランス映画では『サムライ』Le Samouraï(1967)や『シシリアン』Le Clan des Siciliens(1969)など,実生活で噂されていた裏社会とのかかわりを連想させるギャング映画で最も知られる。英語映画では『黄色いロールス・ロイス』The Yellow Rolls-Royce(1964),『テキサス』Texas Across the River(1966),『レッド・サン』Red Sun(1971)など多彩な作品に出演した。以降,『パリの灯は遠く』Monsieur Klein(1976),『真夜中ミラージュ』Notre histoire(1984),『ヌーヴェルヴァーグ』Nouvelle vague(1990),『ハーフ・ア・チャンス』1 chance sur 2(1998)などに出演。

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百科事典マイペディア 「ドロン」の意味・わかりやすい解説

ドロン

フランスの俳優。パリ郊外生れ。インドシナ戦線従軍後,放浪生活をへて,《女がからむ時》(1957年)でデビュー。R.クレマン監督の《太陽がいっぱい》(1960年)とL.ビスコンティ監督の《若者のすべて》(1960年)に主演してスターの地位確立。翳のある二枚目で,1970年代にかけて特に女性ファンを魅了した。他の作品にH.ベルヌイユ監督《地下室のメロディ》(1963年),ビスコンティ監督《山猫》(1963年),R.アンリコ監督《冒険者たち》(1967年),J.ロージー監督《暗殺者のメロディ》(1972年),J.P.メルビル監督《リスボン特急》(1972年),V.シュレンドルフ監督《スワンの恋》(1983年),J.L.ゴダール監督《ヌーベル・バーグ》(1990年)などがある。
→関連項目シュナイダーブロンソンベルモンド

ドロン

中国,内モンゴル自治区シリンゴール(錫林郭勒)盟南部の県。漢字では多倫。ドロン・ノールDolonnor(多倫諾爾)ともいう。上都河をはさんで,左岸漢族右岸モンゴル族が住む。元の上都開平府の古址がある。付近一帯の農畜産物の集散地。彙宗(いそう)・善因の2ラマ教(チベット仏教)寺院は規模広壮で,解放前は毎年6月13日前後の廟会(縁日)に遠近の商人が集まり,馬市が盛んであった。11万人(2014)。

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世界大百科事典(旧版)内のドロンの言及

【ドロン・ノール】より

…北京の北方約250kmに位置する。ドロン(多倫)ともいう。清代,宮廷の勅願寺である善因寺,彙宗寺の二つのラマ廟を中心に門前町として発展,廟の法会の期間には漢族商人たちも集まり,モンゴル族との交易要地となった。…

※「ドロン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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