ニコラウス5世(読み)ニコラウスごせい(英語表記)Nicolaus V

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニコラウス5世」の意味・わかりやすい解説

ニコラウス5世
ニコラウスごせい
Nicolaus V

[生]?. コルバーロ
[没]1333.10.16. アビニョン
教皇ヨハネス22世在位 1316~34)の対立教皇(在位 1328~30)。本名 Pietro Rainalducci; Pietro Rainallucci。フランシスコ修道会修道士で,神聖ローマ帝国における最後の対立教皇となった。ヨハネス22世に破門されていた神聖ローマ皇帝ルートウィヒ4世(在位 1314~47)の威光のもと,ローマで聖職者と一般信者を集めて開かれた会議で選出されたが,それ以外の支持はほとんど得られなかった。1329年4月,ヨハネス22世に破門されたのち,恩赦を保証され,1330年8月に教皇座を放棄した。没するまで,アビニョンの教皇宮殿で名誉ある虜囚として過ごした。

ニコラウス5世
ニコラウスごせい
Nicolaus V

[生]1397.11.15. サルツッナ
[没]1455.3.24. ローマ
教皇 (在位 1447~55) 。本名 Tommaso Parentucelli。ボローニャで学び,1444年同地大司教バーゼル公会議による混乱収め,対立教皇フェリクス5世を 49年に屈服させた。 52年皇帝フリードリヒ3世にローマで加冠。 50年ニコラウス・クザーヌスを使節としてドイツ,ボヘミアの改革を促進した。学芸を奨励し,多くの聖堂を修築し,手写本を集めてバチカン図書館の充実に尽力人格もすぐれ,ルネサンス期最大の教皇とされる。

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改訂新版 世界大百科事典 「ニコラウス5世」の意味・わかりやすい解説

ニコラウス[5世]
Nicolaus Ⅴ
生没年:1397-1455

ローマ教皇。在位1447-55年。北イタリア,サルツァナに医師の子として生まれ,ボローニャで神学を学び,当市の司教N.アルベルガティの庇護を受け,その死後当市の司教となる(1444)。教皇使節としての優れた外交的手腕を発揮し,1446年に枢機卿翌年には教皇に選ばれた。49年には〈大離教〉(シスマ)を終了させ,ニコラウス・クサヌスらの協力で教会改革を推進し,また芸術学問を愛好しバチカン図書館を再建した。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ニコラウス5世」の解説

ニコラウス5世(ニコラウスごせい)
Nicolaus Ⅴ

1397~1455(在位1447~55)

ローマ教皇。イタリア人。ドイツ王フリードリヒ3世に史上最後のローマでの戴冠式を行った。バーゼル教会会議後の混乱を収拾し,ルネサンス学芸を奨励,ヴァチカン図書館を創立した。

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367日誕生日大事典 「ニコラウス5世」の解説

ニコラウス5世

生年月日:1397年11月5日
教皇(在位1447〜55)
1455年没

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世界大百科事典(旧版)内のニコラウス5世の言及

【教皇】より

…カロリング朝のピピンは教皇に教皇領を寄進し,その子カールは800年レオ3世から皇帝戴冠を受けてローマ教会化の諸政策を推進した。カロリング朝末期の衰退において特に教皇職の威信はニコラウス1世Nicolaus I(858‐867)によって高められた。
[教皇職の光と影]
 教会改革の幕が開かれ,ドイツ人諸教皇が11世紀前半〈ペテロの座〉につき,教皇職の新時代を築いた後,グレゴリウス7世(1073‐85)は〈教会の自由〉すなわち〈いっさいの世俗権力からの教皇職と教会の自由と独立〉を宣言した。…

【キリスト教】より

…これは,教会と同じく社会的地位の向上した修道院内部の腐敗を〈ベネディクトゥスの会則〉の厳格な順守によって清め,かつ教会に対しては司祭の結婚と聖職売買(シモニア),およびドイツ王による司教と大修道院長の叙任の禁止を要求するものであった。ニコラウス2世(在位1058‐61)は1059年のローマ会議で教皇選挙に世俗人の参加を禁止する法を立て,政治的権力から離れた〈教会の自由〉を主張した。先にクリュニーの修道士であったグレゴリウス7世は,教会法学者ペトルス・ダミアニの熱烈な支持をうけて,1076年のウォルムス会議でドイツ皇帝ハインリヒ4世を破門にした。…

【サン・ピエトロ大聖堂】より

… 324年ローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって創建され,ルネサンス,バロック時代に現大聖堂が新築された。創建時の旧聖堂は使徒ペテロの墓の上に位置する5廊のバシリカ式教会堂であったが,老朽化したため,15世紀の教皇ニコラウス5世(在位1447‐55)が全面的改修に着手した。一流の建築家が参加した新大聖堂の建設はイタリア・ルネサンス最大の建築事業で,とくにブラマンテミケランジェロの果たした役割は大きい。…

【バチカン図書館】より

…1309年,教皇庁がフランスのアビニョンに移転したとき,ともにこれにしたがったが,ふたたびローマにかえり,そのころから〈バチカン文庫〉とよばれるようになった。この文庫を今日まで存続させたのは,愛書家として有名な教皇ニコラウス5世(在位1447‐55)で,在職のあいだ図書の収集のためその権勢を利し,財力の限りをつくした。現在の蔵書数はおよそ書写本6.5万部,印刷本100万部,インクナブラ(初期刊本)8000部で,とくに著名な珍本にキケロの《共和政体論(国家論)》,4世紀ころのものと推定される聖書の《バチカン写本》,ウェルギリウスの4世紀,6世紀および7世紀の写本やテレンティウスの4世紀と9世紀の写本などがある。…

※「ニコラウス5世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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