日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ニューマン(John Henry Newman)
にゅーまん
John Henry Newman
(1801―1890)
イギリスの神学者、枢機卿(すうききょう)。銀行家の子としてロンドンに生まれる。1817年にオックスフォード大学のトリニティ・カレッジに入学し、1821年に卒業。1824年にイングランド教会の聖職者となり、1828年にオックスフォードの聖マリア教会の牧師に任ぜられ、さらに1831年から大学説教師となった。思想的には、同僚フルードRichard Hurrell Froud(1803―1836)、キーブルらの影響を受けてアングロ・カトリック主義の立場にたち、その説教は青年、学生に大きな感銘を与えた。1833年からキーブルらとイングランド教会の信仰復興を志して『時局小冊子(トラクト)』Tracts for the Timesを発行し、いわゆるオックスフォード運動を展開した。しかし1841年『時局小冊子』90号で「39か条」The Thirty-Nine Articlesをカトリックの信条と両立しうるものであると解釈したため、『時局小冊子』の発行が禁止され、また自らもイングランド教会に疑問を抱き、1843年聖職を辞してリトルモアに隠退した。1845年にカトリックに改宗してローマに赴き、1847年司祭に叙品(じょひん)され、1849年バーミンガムにオラトリオ会を創設し、のちロンドンにもつくられた同会の修道院、学校の経営にあたり、生涯をバーミンガムに過ごした。その間1854年から1858年までダブリンのカトリック大学総長の地位にあったが、不本意のうちに帰国。1879年教皇レオ13世によって枢機卿に任ぜられた。神学者、哲学者また詩人として多くの著作があるが、彼はイギリスのカトリックの発展に寄与したばかりでなく、全イギリスの宗教界・思想界に大きな影響を与えた。
[曽根暁彦 2017年12月12日]