ニーシュ(英語表記)Niš

改訂新版 世界大百科事典 「ニーシュ」の意味・わかりやすい解説

ニーシュ
Niš

セルビア南東部の都市。人口17万4092(2003)。ニーシュ平原のニシャバ川左岸にある。町の起源はローマ時代のナイススNaissusで,コンスタンティヌス1世生地だった。民族の大移動期に破壊されたが,ユスティニアヌス1世時に再建され,ビザンティン時代は商業と軍事の中心として栄えた。1183年ステファン・ネマーニャによって征服されセルビアに属する。89年彼はここで第3回十字軍を従えた神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世を迎え,同盟を結んだ。1386年オスマン・トルコ軍が攻略,1877年まで占領した。古来,交通の要衝であったが,1884年ベオグラード~ニーシュ間の鉄道が完成,20世紀に入るとオリエント急行が開通してさらに重要度を増した。第2次大戦後は工業都市として発達,機械,鉄道車両,電気製品のほか,非鉄金属,タバコなどの工場がある。大学,高等経営学校,師範学校,応用美術学校,劇場,タバコ研究所もある。

 17世紀末の古城址やローマ時代の遺物を収めた博物館は一見に値するが,珍しいコンスタンティヌス帝のブロンズ頭部はベオグラード国立博物館に移されている。市郊外はユージュナ・モラバ川流域の肥沃な土地がひろがり,穏やかな田園風景がつらなる。しかし東のニーシュカ・バーニャ(温泉)へ行く途上にチェレ・クーラ(髑髏(どくろ)塔)なるものが立つ。1809年トルコ人駐屯兵の暴挙に抗して立ったセルビア人は敗れ,指導者シンジェリッチらは味方の火薬箱に発砲し包囲軍とともに果てた。怒ったトルコ軍司令官は彼らの首952個をはねて見せしめとしたのである。ラマルティーヌもここを訪れ,異様な光景を書き残している。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニーシュ」の意味・わかりやすい解説

ニーシュ
Niš

セルビア南東部の都市。モラバ川とその支流ニシャバ川との合流点付近に位置する。河谷沿い道路,鉄道が走り,ヨーロッパ中部からエーゲ海イスタンブールにいたる線が分岐している。じゅうたんを中心とする繊維,機関車,日用品,電機などの工業があり,豊かな農業地帯を基盤にビール,たばこなどの食品加工も行なわれる。ケルト人の集落に古代ローマが建設した都市ナイススがこの地と考えられ,軍事,商業の要地として,9世紀以降ブルガリア,ハンガリー,ビザンチンなどに支配された。 12世紀末からはセルビア,1375年から約 500年間はトルコの支配下に入り,ベルリン条約 (1878) でセルビア領となった。第1次世界大戦中に,一時セルビアの首都が置かれた。第2次世界大戦での被害と戦後の復興により市街は様相を一変し,トルコ=ビザンチン様式の歴史的建造物は姿を消した。人口 17万 3724 (2002) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ニーシュ」の意味・わかりやすい解説

ニーシュ

セルビア南東部の都市。ニシャバ川に沿い,鉄道・道路の結節点。機械・電機・金属・車両工業が行われる。古くはナイススNaissusと呼ばれ,コンスタンティヌス大帝の生地。1386年ころトルコに占領され,バルカン支配の要地となった。1878年セルビア王国領。18万3164人(2011)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android