ノートルダム大聖堂(パリ)(読み)のーとるだむだいせいどう(ぱり)

知恵蔵 の解説

ノートルダム大聖堂(パリ)

ゴシック様式の建築を代表する、カトリック・パリ大司教区聖堂。フランスの首都パリ中心部のシテ島にある。ノートル・ダムは「私たちの貴婦人」という意味で、聖母マリアを指す。年間1300万人が訪れる観光名所だが、2019年4月15日19時頃(現地時間)に火災が発生。中央部の尖塔(せんとう)と屋根が焼失し、国内外に大きな衝撃を与えた。出火原因は電気系統の故障が疑われているが、現時点では不明。マクロン大統領は、パリ五輪が開催される24年までの再建を表明している(19年5月末時点)。
大聖堂着工は1163年、パリ司教シュリーの計画・指導による。その後、100年以上を費やし、荘厳なファサード(正面部)や二つの塔を持つ原形を完成させた。建築美の評価ではシャルトルの大聖堂のほうが高く、規模でもアミアンの大聖堂(面積約2倍)が圧倒している。しかし、王政下・共和制下を問わず、数々の国家的式典・出来事の舞台になったことから、フランス史を体現する建造物としての価値は揺るぎない。
1302年には、初めて三部会(身分制議会)が召集され、1450年代には、ジャンヌ・ダルク(31年死去)の復権裁判も行われた。18世紀末にはフランス革命余波で一時閉鎖されたが、混乱に乗じて皇帝となったナポレオン1世が1804年に戴冠(たいかん)式を行ったことをきっかけに、大規模な修復工事が進められた。更に1831年には、ビクトル・ユゴーが中世の大聖堂を舞台とした小説「ノートル・ダム・ド・パリ」を発表。民衆の間でも、大聖堂への関心がより高まった。その後、2度の世界大戦も乗り越え、戦後はドゴール大統領やミッテラン大統領の国葬の場にもなった。1991年には、「パリのセーヌ河岸」の構成遺産として世界文化遺産に登録されている。

(大迫秀樹 フリー編集者/2019年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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