ハインリヒ(4世)(読み)はいんりひ(英語表記)HeinrichⅣ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハインリヒ(4世)」の意味・わかりやすい解説

ハインリヒ(4世)
はいんりひ
HeinrichⅣ
(1050―1106)

ザリエル朝3代目のドイツ国王・神聖ローマ皇帝(在位1056~1106)。父ハインリヒ3世の死後6歳で王位につき、最初は母后アグネスAgnes(1025―1077)が摂政(せっしょう)として国政をとった。親政開始後、ザクセン経営を推進したが、これに不満をもったザクセン貴族層は、オットー・フォン・ノルトハイムOtto von Nordheim(?―1083)の指導下に反乱を起こした。反乱鎮圧後、ミラノ大司教の叙任問題が発端となり、教皇グレゴリウス7世との間に聖職叙任権闘争が起こり、1076年教皇から破門を受けた。そのため国内貴族層の離反を招き、ハインリヒは翌1077年ひそかにイタリアに赴き、カノッサ城外で教皇に懺悔(ざんげ)して赦免されたが(カノッサ事件)、反国王派貴族はシュワーベン大公ルードルフRudolf von Rheinfelden(在位1077~1080)を対立国王に選び、ドイツ国内は国王支持派と反国王=教皇支持派に分かれて内乱状態に陥った。戦局はハインリヒ側の優位に推移したが、1105年、息子ハインリヒ5世)に背かれ、リューティッヒ(リエージュ)に逃れて再起を図るうちに死亡した。

[平城照介 2017年12月12日]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ハインリヒ(4世)」の解説

ハインリヒ(4世)
Heinrich Ⅳ

1050〜1106
ザリエル朝の神聖ローマ帝国皇帝(在位1056〜1106)
ハインリヒ3世の子。幼少で即位したため,諸侯反抗を招いたが,1065年親政後は,諸都市の支持を得て諸侯を押さえた。1076年聖職叙任権をめぐってローマ教皇グレゴリウス7世と対立し,77年カノッサの屈辱 (くつじよく) を招いたが,のち教皇を追い,帝権を確保した。

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