ハドリアヌス(英語表記)Publius Aelius Hadrianus

精選版 日本国語大辞典 「ハドリアヌス」の意味・読み・例文・類語

ハドリアヌス

(Publius Aelius Hadrianus プブリウス=アエリウス━) 古代ローマ皇帝(在位一一七‐一三八)。五賢帝の一人。ヒスパニア出身。辺境防衛と国力充実に努めた。官僚制と軍制を整え、都市建設を行ない、また、法学・文芸・美術の振興にも尽力。(七六‐一三八

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「ハドリアヌス」の意味・読み・例文・類語

ハドリアヌス(Publius Aelius Hadrianus)

[76~138]ローマ皇帝。在位117~138。五賢帝の一人。スペインの生まれ。行政改革を行って内政を整備し、また、パルティアと和し、ブリタニアに長城を築くなど辺境の防衛を強化した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ハドリアヌス」の意味・わかりやすい解説

ハドリアヌス
Publius Aelius Hadrianus
生没年:76-138

ローマ皇帝。在位117-138年。五賢帝の第3番目。ヒスパニア(スペイン)の出身で,トラヤヌスの庇護下で育てられギリシアの学問を学んだのち,軍事・行政職を歴任した。彼のシリア総督在任中,トラヤヌスは死の直前,彼を養子・後継者とした。ハドリアヌスは不穏な動きをした元老院議員を処刑し,トラヤヌスが征服したものの,維持が困難になっていたメソポタミア方面の属州を放棄して統治に着手した。彼はアウグストゥスを模範として称号を簡単にし,帝国の拡大をやめて国境の安定に努めた。イギリスに現存して,イングランドスコットランドを隔てている〈ハドリアヌスの防壁〉はその姿勢を象徴している。同時に帝国内の統合をめざし,法の整備,官僚の組織化,地方諸都市の保護,ローマ・イタリアと地方属州の区別の解消,軍団の現地徴募,貨幣・徴税システムの均一化などの諸施策によってそれを進めた。元首顧問団を強化して行政にあずからせ,法学者には法の集成を行わせて,法務官(プラエトル)告示を集めた〈永久告示録〉を編纂させた。また地方差解消と治安のために長期間国内を巡遊して,小都市までも訪れ,訴えを裁き,各地に物的援助を与えた。その結果,平和と安定により帝国全域のローマ化・都市化,ローマ・ギリシア文化の発展は頂点に達した。また社会的には全帝国において上層・下層の身分が画定してゆき,都市国家的性格がいよいよ薄くなっていった。

 彼はギリシア文化,特にアテナイ市を愛し,図書館やオリュンピエイオンなどを贈った。ハドリアノポリスHadrianopolis(後のアドリアノープル,現トルコ領エディルネ)も彼の建設にかかる。またローマにも巨費を投じてパンテオン,自身の霊廟,大ウィラ(ティボリ近郊の離宮)などを造営した。彼はローマ史上初めてのひげを生やした皇帝で,複雑な性格の持主だったという。ユダヤ反乱(第2次ユダヤ戦争)は徹底的に弾圧してエルサレムに新植民市を建て,愛人の美少年アンティノオスAntinoosが死ぬと,そのために都市や神殿を建てるなどの一面もあった。

 占星術をもよく学んだ。アントニヌス・ピウスを後継者とし,マルクス・アウレリウスをその養子とさせたのちに没した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハドリアヌス」の意味・わかりやすい解説

ハドリアヌス
Hadrianus, Publius Aelius

[生]76.1.24. イタリカ
[没]138.7.10. バイアイ
ローマ皇帝 (在位 117~138) 。五賢帝の一人。ヒスパニアの元老院議員家系の出身。先帝トラヤヌスの血縁にあたる。トラヤヌスが死の床で彼を養子としたと称して,そのときシリアにあったハドリアヌスは現地で即位。しかし元老院がこれに疑いをもって両者の関係は冷却,またダキアエジプト,ブリタニアの政情不安もあってユーフラテス川以遠の,トラヤヌスが征服した地域を放棄してローマに帰り,借財帳消し,貧民救済策によって人気を獲得し,対外的には防衛策に転じた。ローマを離れて各地を巡察し,騎士身分 (エクイテス ) を登用して官僚制を整え,貨幣発行による財政建直し,立法整備を行なった。また新しい形式のラテン市民権である大ラテン市民権を創設,この権利を得た都市のすべての地方元老院議員にローマ市民権を与え,ローマ元老院に多くの属州の貴族を補充させた。辺境にはハドリアヌス長城などの城壁を修築,駐屯地からの徴兵などの軍制改革,荒廃したエジプトなどでは植民に努めた。アテネを愛しオリュンピア,ゼウスの神殿を造らせ,ほかにも公共施設を多く建設させた。エルサレムには新市アエリア・カピトリナを建設。これに反抗したラビ・アキバらユダヤ人を徹底的に弾圧した (132) 。また同性愛の愛人アンチノースの死後,エジプトに新市アンチノポリスを建設し,祭儀を行わせた。晩年はチボリ (ローマ近郊) の広大な別荘に引きこもった。すぐれた政治的手腕をもつとともに,文芸,絵画,算術を愛好,学者を厚遇した。アントニヌス・ピウスを養子とし,死後彼によって神格化された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハドリアヌス」の意味・わかりやすい解説

ハドリアヌス
はどりあぬす
Publius Aelius Hadrianus
(76―138)

ローマ皇帝(在位117~138)。五賢帝の三番目の皇帝。トラヤヌス帝(在位98~117)と同じくスペインのイタリカ出身で、トラヤヌス帝の遠縁にあたる。85年に父を亡くし、トラヤヌスの後見を受ける。その後軍事、政治の要職を歴任し、第一次、第二次ダキア戦争にも従軍。トラヤヌスのパルティア遠征の際にはシリア総督であり、トラヤヌスが117年にキリキアで病死したとき、死に際に養子とされ、帝位を継いだ。対外政策はトラヤヌスと対照的に平和的、防衛的であり、パルティアと和し、属州の防衛や統治の強化のために121~134年にかけて帝国各地を巡察した。その際、ブリタニアに、いわゆる「ハドリアヌスの長城」を築いた。ユダヤ人の反乱(132~135)だけが治世の平穏を破る事件であった。ハドリアヌスは行政機構の改革に多くの成果を残し、都市の建設や建築造営にも多大な関心を示した。136年ルキウス・アエリウスを養子として後継者に指名したが、138年に彼が病死したためアントニヌス・ピウスを新たに指名し、同年7月10日に死亡した。

[市川雅俊]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ハドリアヌス」の意味・わかりやすい解説

ハドリアヌス

ローマ皇帝(在位117年―138年)。五賢帝の一人。トラヤヌスの養子となって後を継ぎ,それまでの対外積極策から守勢に転じ,行政機構と軍制の整備に努めた。ブリタニアの〈ハドリアヌスの壁〉や,帝国内各地の建築事業でも知られる。
→関連項目アテネアントニヌス・ピウスエディルネ五賢帝パンテオン

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハドリアヌス」の解説

ハドリアヌス
Publius Aelius Hadrianus

76~138(在位117~138)

ローマ皇帝。ヒスパニアの出身。政界に進み,トラヤヌス帝のあと帝位を継ぐ。五賢帝のうちの第3番目にあたる。前帝の対外積極政策から転じて,防衛強化と国力充実に努めた。帝国内を視察して回り,ブリタニアでは城壁を築いた。行政機構と軍制の整備は,以後の帝国の組織の土台を固めたものである。ハドリアノポリス(英語でアドリアノープル,現エディルネ)などの都市建設や,アテネ,ローマにおける神殿建設でも知られる。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ハドリアヌス」の解説

ハドリアヌス
Publius Aelius Hadrianus

76〜138
古代ローマ皇帝(在位117〜138)
五賢帝のひとり。トラヤヌス帝の甥。その治世は,帝国の最盛期にあたる。トラヤヌスの外征政策を放棄し,帝国の東境をユーフラテス川までと定め,ブリタニアの北境にも長城(ハドリアヌスの壁)を設けて防備を固めた。イェルサレムを完全に破壊し,そのためユダヤ人は離散した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android