浜辺黒人(読み)はまべのくろひと

精選版 日本国語大辞典 「浜辺黒人」の意味・読み・例文・類語

はまべ‐の‐くろひと【浜辺黒人】

江戸後期の狂歌師本名、斯波孟雅(しばたけまさ)通称、三河屋半兵衛。江戸芝の書肆(しょし)主人で、号は色黒であったことによる。入花(にゅうか)という点料の制度を創始したといわれる。編著「初笑不琢玉(はつわらいみがかぬたま)」「狂歌栗の下風」など。享保二~寛政二年(一七一七‐九〇

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デジタル大辞泉 「浜辺黒人」の意味・読み・例文・類語

はまべ‐の‐くろひと【浜辺黒人】

[1717~1790]江戸中期の狂歌師。江戸の人。本名、斯波孟雅しばたけまさ。通称、三河屋半兵衛。書籍商で、狂歌集「初笑不琢玉はつわらいみがかぬたま」を発刊入れ花の制度を創始したといわれる。

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改訂新版 世界大百科事典 「浜辺黒人」の意味・わかりやすい解説

浜辺黒人 (はまべのくろひと)
生没年:1717-90(享保2-寛政2)

江戸中期の狂歌師。本名は斯波孟雅(しばたけまさ)。通称は三河屋半兵衛。江戸本芝2丁目の本屋。芝浜連の頭目として活躍,天明狂歌最初の版本《初笑不琢玉(はつわらいみがかぬたま)》や《狂歌栗の下風》を刊行し,また狂歌書にはじめて彫刻料・入花料をとるなど職業的狂歌師の道をひらいた。〈大黒を盗んで福を得手勝手人の心の浅草の市〉(《狂歌才蔵集》)。
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朝日日本歴史人物事典 「浜辺黒人」の解説

浜辺黒人

没年:寛政2.5.18(1790.6.30)
生年:享保2(1717)
江戸時代の狂歌作者。本名は斯波孟雅,通称は三河屋半兵衛。狂名は色黒であったことによる。江戸本芝2丁目で本屋を営み,狂歌熱の高まりはじめた安永8(1779)年ごろ,狂歌を募集し,入選歌を摺り物にして出し,その版木代を「入花料」として徴収した。これは江戸狂歌の点料の最初のものといわれる。その摺り物を集めて天明2(1782)年に『栗の下風』と『初笑不琢玉』を刊行。作者層は,いまだ上方狂歌の系統を引く芝方面の僧侶が多かったが,黒人自身は先駆者として天明狂歌壇に参加,多くの集に歌がみえる。『徳和歌後万載集』に収められた「ほととぎす富士と筑波天秤に両国橋をかけたかとなく」がよく知られている。

(園田豊)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浜辺黒人」の解説

浜辺黒人 はまべの-くろひと

1717-1790 江戸時代中期の狂歌師。
享保(きょうほう)2年生まれ。江戸本芝の本屋の主人で,芝浜連の頭目として活躍。狂歌を募集してすり物にのせ,入花(いればな)料(点料)をとることをはじめた。寛政2年5月18日死去。74歳。本名は斯波孟雅(しば-たけまさ)。通称は三河屋半兵衛。号は桃翁。編著に「狂歌栗(くり)の下風」「初笑不琢玉(はつわらいみがかぬたま)」。
格言など】黒人が黄色の人にならんとて浜辺をすてて川岸へゆく(辞世)

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世界大百科事典(旧版)内の浜辺黒人の言及

【イギリス映画】より

…しかし,もともとアメリカ人であったレスターは,その後イギリス映画界にとどまらず,彼のもっとも尊敬するアメリカ喜劇の王様バスター・キートンにオマージュをささげた《ローマで起った奇妙な出来事》(1966)とともにアメリカに戻った。
[その他のイギリス映画]
 イギリス映画を特徴づける主要な傾向として,1950年代以降,世界的に注目され,あるいは〈名物〉となった,いわゆる〈フリー・シネマ〉と〈ハマー・プロ〉の怪奇映画がある。A.コルダが死去し,イーリング撮影所がBBCに売却された56年に,L.アンダーソン,K.ライス,T.リチャードソンによる〈フリー・シネマ〉運動が旗揚げされる。…

【SF映画】より

… なお,この時期,J.ベルヌ原作,R.フライシャー(1916‐ )監督のディズニー・プロ作品《海底二万哩》(1954)が,インベーダーとも放射能怪獣とも無縁なアドベンチャーSFとして作られている。イギリスでは,B.ゲスト監督のハマー・プロ作品《原子人間》(1955)がヒットした。BBCのテレビドラマの映画化だが,地球にもどった宇宙飛行士が,付着していた宇宙寄生体(?)に侵されてしだいに奇怪な姿になり,病院を脱出して人や獣を襲い,血を吸いつくす。…

【怪奇映画】より

…いずれにしても,怪奇映画は50年代のSF映画の台頭につれて影を潜めるが,これは,放射能や科学実験による突然変異としての生物の巨大化(《放射能X》1953,《ハエ男の恐怖》1958,など)や,人間が縮小したため相対的に生物の巨大化と同じパニックに陥る(《縮みゆく人間》1957)といった設定で,つまりはSFがモンスターの肩代りをしたともいえる。
[1960年代以降]
 60年代は,毒々しい色彩効果によるエロティシズムとサディズムを加味したイギリスのハマー・プロ作品(テレンス・フィッシャー監督,クリストファー・リー,ピーター・カッシング主演《吸血鬼ドラキュラ》1958,等々)と,一連の〈エドガー・アラン・ポー物〉によって,異常心理がらみの幻想劇という独自のイメージを繰り広げたアメリカのAIP作品(ロジャー・コーマン監督,ビンセント・プライス主演《アッシャー家の惨劇》1960,等々)が活況を呈する一方,フランスではジョルジュ・フランジュ監督《顔のない眼》(1960),ロジェ・バディム監督《血とバラ》(1960)といったポエティックな怪奇幻想の心理劇がつくられたが,もっとも注目すべきはヒッチコックの《サイコ》(1960)という真にエポックを画する恐怖映画が生まれたことで,以後の怪奇,SF,恐怖映画のジャンルは,すべて〈サイコ以後〉の名でくくることも可能なくらい決定的に《サイコ》の,ヒッチコックの影響を受けることになる。ウィリアム・キャッスル監督《第三の犯罪》(1961),《血だらけの惨劇》(1964),ロバート・アルドリッチ監督《何がジェーンに起ったか?》(1962)から1970‐80年代の〈モダン・ホラー・ムービー〉(怪奇的なムードで話を運び,結末のどんでん返しを利かせたものが多い)に至るまで,そうである。…

※「浜辺黒人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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