ハリー ベラフォンテ(英語表記)Harry Belafonte

現代外国人名録2016 「ハリー ベラフォンテ」の解説

ハリー ベラフォンテ
Harry Belafonte

職業・肩書
歌手,俳優

国籍
米国

生年月日
1927年3月1日

出生地
ニューヨーク市ハーレム

本名
ベラフォンテ,ハロルドジョージJr.〈Belafonte,Harold George Jr.〉

学歴
ジョージ・ワシントン高

受賞
トニー賞(助演男優賞)〔1953年〕,エミー賞〔1960年〕,ゴールデン・アコード賞〔1989年〕,マンデラ勇気賞〔1990年〕,ニューヨーク映画批評家協会賞助演男優賞(第62回,1996年度)「カンザス・シティ

経歴
1935〜39年、9〜13歳まで母の生地ジャマイカで過ごし、第二次大戦中の’43〜45年米国海軍に入った。戦後ニグロ劇団を経て、歌手を志した。’50年ニューヨーク市のビレッジバンガードナイト・クラブ、ロイヤル・ルーストで歌手としてデビュー。’53年カーネギー・ホールでのコンサートでアフリカ系歌手として不動の地位を固めた。’56年に発表したジャマイカのカリプソ「さらばジャマイカ」「バナナ・ボート」の大ヒットで一躍有名となる。’60年アフリカ系初のエミー賞を受賞。映画にも出演し、「カルメン・ジョーンズ」(’52年)、「日のあたる島」(’57年)、「拳銃の報酬」(’59年)の主演で活躍。さらにプロデューサーとしてもテレビや映画、舞台などを手掛けた。西インド諸島やアフリカの民謡をポピュラーなものにしただけでなく、のちのフォークソング・ブームの先駆けとなった。’60年代以降は公民権運動専念、社会問題への関心も強く、’85年にはアフリカ難民救済ソング「ウィ・アー・ザ・ワールド」を提唱、’87年にユニセフ親善大使を務め、’88年にはウェンブリーにおいてネルソン・マンデラのバースデー・コンサートを主催した。他のヒット作品に「ク・クル・ク・ク・パロマ」「マチルダ」、映画出演に「ジャンクション」(’95年)、「カンザス・シティ」(’96年)、「ボビー」(2006年)など。1954年、’74年、’96年に来日。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ハリー ベラフォンテ」の解説

ハリー ベラフォンテ
Harry Belafonte


1927.3.1 -
米国の歌手,俳優。
ユニセフ親善大使。
ニューヨーク生まれ。
本名Harold George(Jr.) Belafonte。
海軍から復員後、演劇を目指すが、1948年からジャズや民謡の分野で歌手として活動し始める。その後舞台俳優としても登場し、’53年ブロードウェーにも出演。’56年「バナナ・ボート(デイ・オー)」他が、西インド諸島のカリプソなどで人気が出る。公民権運動に奔走したり、ユニセフ親善大使としても活躍している。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「ハリー ベラフォンテ」の解説

ハリー ベラフォンテ

生年月日:1927年3月1日
アメリカの歌手;俳優

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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