ハーディ(Thomas Hardy)(読み)はーでぃ(英語表記)Thomas Hardy

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ハーディ(Thomas Hardy)
はーでぃ
Thomas Hardy
(1840―1928)

イギリスの小説家、詩人。19世紀イギリス文学を代表する作家の1人。詩人としても再評価され、第二次世界大戦後のイギリス現代人に大きな影響を与えている。

 1840年6月2日、イギリス南西部ドーセット州の一小村ハイヤー・ボカムトンに石材加工業者の長男として生まれる。当時の庶民としては珍しく中等教育を受け、まず州都ドーチェスター(小説中のキャスターブリッジ)の建築事務所見習いとなり、22歳のときロンドンに出て教会修復専門の建築事務所に勤める。大学には進まず、先輩の指導や独学で広い教養を身につけた。

 幼いころから身体の弱かった彼は読書と暝想(めいそう)を好み、牧師を志したこともあるが、当時の懐疑主義思潮の影響を受けて信仰を失い、青年時代は詩作にふけった。しかし、作品は認められず、健康を害して帰郷を余儀なくされることもあり、依然として勤めのかたわら小説を書く。処女作『貧しい男と貴婦人』は出版を断られ、そのあと第一作として『窮余の策』(1871)を匿名で出版。これは殺人事件を扱う探偵小説仕立てで読書界には迎えられなかったが、印象的な自然描写や感情の起伏が激しい女主人公など、後年作風の特徴が認められる。第二作の牧歌的喜劇『緑の木蔭(こかげ)』(1872)が広く迎えられ、作家としての地位を固めた。この間、修復のため訪れた海辺の村の教会で、牧師の義妹エマ・ギフォードと知り、熱烈な恋愛ののち結婚している。

 最初の傑作は農村生活を背景に展開する愛と運命の物語『狂乱の群を離れて』(1874)で、この作品で初めて郷土のイギリス南西部を古代の名称から「ウェセックス」と名づけ、やがて彼の14を数える長編小説は一括して「ウェセックス小説」とよばれる。古い習俗を残し、変わらぬ自然に生きる農村の人々や、彼らの語り伝える数奇な物語は、幼いころからハーディに親しいものであった。第六作『帰郷』(1878)は田園ロマンスから悲劇への転換を示し、暗く厳しい自然のなかで近代思想に悩む青年の愛と挫折(ざせつ)を描いている。また第九作『キャスターブリッジの市長』(1886)は人並み外れた精力の持ち主で、衝動的な情熱のために破滅する男を描く古典的悲劇。続く『森林地の人びと』(1887)でハーディは田園の世界に戻るが、画面は暗く悲劇的である。

 代表作の『テス』(1891)は美しい自然描写と残酷な運命の戯れを織り交ぜた作品で、因襲的な社会道徳に対する作者の抗議が読み取れる。このため、頑迷な中・上流階級の人々の非難を浴びた。『日陰者ジュード』(1896)では既成道徳への攻撃はさらに強烈になり、物語の救いのない暗さと相まって一段と激しい非難の的となる。これが一因となって、彼は小説の筆を折り、若いころから念願の詩人として後半生を送る。第一詩集『ウェセックス詩集』(1898)には青年時代の詩も収められる。その後六冊の詩集を世に送り、生涯詩作をやめなかった。この間ナポレオン戦争を題材に、人間界の争いを天から見下ろす精霊たちの嘲笑(ちょうしょう)や哀れみの対話で構成された三部の長編叙事詩『覇王たち』(1903~08)を完成している。

 晩年のハーディは大家としてさまざまの栄誉に包まれた。大勲功章Order of Merit、各大学の名誉学位、イギリス作家協会会長など、一世の文豪として尊敬を集めた。1912年妻エマが死に、14年間秘書を務めたフロレンス・ダグデイルと再婚。彼女の名で出版された『トマス・ハーディ伝』(1928~30)は大部分ハーディ自身の手になるもの。28年1月11日、87歳で死去、ウェストミンスター寺院に葬られた。

 小説家としての特質は、描写の隅々に息づく詩情、女性や孤立した人間の迷いや苦しみへの深い共感、そしてそれらを堅固なプロットに組み上げる優れた構想力にある。宇宙は人間に無関心で、偶然の力によって人間を翻弄(ほんろう)するという悲観主義の哲学を抱いていたが、人間の憧(あこが)れと苦悩への同情を失っていない。詩人としては、日常的モチーフをとらえて運命の皮肉や不可避な幻滅を歌い込み、近代詩につながる洗練された詩法は今日のイギリス詩人に大きな影響を与えている。短編小説にも優れ、短編集四巻がある。

[海老根宏]

『大沢衛著『ハーディ文学の研究』(1956・研究社出版)』『大沢衛編『ハーディ研究』(1963・英宝社)』『本多顕彰編『20世紀英米文学案内4 ハーディ』(1969・研究社出版)』『佐野晃著『英米文学作家論叢書 ハーディ』(1981・冬樹社)』『河野一郎訳『ハーディ短篇集』(新潮文庫)』

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