世界大百科事典(旧版)内のバイヨン(アンコール・トム)の言及
【アンコール・トム】より
…そしてジャヤバルマン7世(在位1181‐1202)の時に,今日に残存する城壁が造られたのである。 この城壁内で一番大切な建造物は,ちょうど真ん中に建つバイヨンである。ジャヤバルマン7世によって建立されたもので,当時の都の中心山寺であった。…
【ジャヤバルマン[7世]】より
…さらに近隣諸国を制圧し,北はラオスのビエンチャン付近から南はマレー半島北部まで,西はメナム川上流域まで席巻し,インドシナ半島の中央部をその勢力範囲とした。都城アンコール・トムの中心寺院バイヨンには,4面の観世音菩薩の大慈顔が塔堂に付けられ,王を神格化した特別な仏像〈ブッダ・ラージャ(仏即王)〉が中央祠堂に祀られていたという。タ・プローム,プリヤ・カンなど,ほかにも多くの寺院を建立し,美術史上バイヨン様式といわれる。…
※「バイヨン(アンコール・トム)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」