バーゼルの和約(読み)ばーぜるのわやく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バーゼルの和約」の意味・わかりやすい解説

バーゼルの和約
ばーぜるのわやく

1499年のシュワーベン戦争に際し、バーゼルBaselにおいて締結された、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世スイス誓約同盟(10州同盟)との和約。当初交渉は決裂したが、同年7月の両者激戦、フランスのミラノ侵攻、さらにシュワーベン同盟の援助拒否などにより、皇帝は交渉を余儀なくされ、8月休戦が成立し、ミラノ公ルドビコ・イル・モロLudovico Il Moroの仲介で9月22日和約がなった。その結果、スイス側はトゥールガウのラント・フォークト職の獲得と引き替えに、グラウビュンデンにおけるハプスブルク家の支配権を形式的に承認した。条約の主要点は、スイス誓約同盟に対し、以後帝国裁判所への召喚および帝国納税義務を免除することにあったが、スイス側はこれを帝国からの分離独立の根拠とした。しかし、これは法的にも不完全であり、かつマクシミリアン1世はこの和約により両者が開戦前の関係に戻ったと解しており、この点に関しては1648年のウェストファリア条約の交渉まで保留となった。

[佐藤るみ子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バーゼルの和約」の意味・わかりやすい解説

バーゼルの和約
バーゼルのわやく
Peace of Basel

1499年9月 22日神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世スイス連邦の独立を承認した条約。 13世紀末以後スイスのハプスブルク家支配からの離脱運動が発展,14世紀末には事実上独立を確保した。マクシミリアン1世は即位後スイス諸州への支配再建をはかり,これに抗した 13州と 99年シュワーベン戦争 (スイス戦争) を起したが敗れ,この条約によってスイスの永久的独立を認めた。ただし,法的に独立が認められるのは,ウェストファリアの講和 (1648) のときである。

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