バート レイノルズ(英語表記)Burt Reynolds

現代外国人名録2016 「バート レイノルズ」の解説

バート レイノルズ
Burt Reynolds

職業・肩書
俳優,映画監督

国籍
米国

生年月日
1936年2月11日

出生地
ジョージア州ウェイクロス

本名
Reynolds,Burton Leon Jr.

学歴
フロリダ州立大学,パームビーチ・ジュニア・カレッジ演劇科

受賞
ゴールデン・グローブ賞男優賞(テレビ・ミュージカル・コメディ部門,第49回,1991年度)「イブニング・シェード」,エミー賞主演男優賞(コメディ部門)〔1991年〕「イブニング・シェード」,ゴールデン・グローブ賞助演男優賞(第55回,1997年度)〔1998年〕「ブギー・ナイツ」,シカゴ映画批評家協会賞助演男優賞(第10回)〔1998年〕「ブギー・ナイツ」

経歴
父方の祖母チェロキーインディアンという血筋で、イタリア人の血も入っている。大学時代アメリカンフットボール花形選手だったが、事故で負傷し俳優志望へ。ブロードウェイの舞台「ミスタア・ロバーツ」で注目を集め、1961年テレビシリーズ「ガンスモーク」のゲスト出演を皮切りに、「夜間捜査官ホーク」(’66年)、「警部ダン・オーガスト」(’70年)などのアクションシリーズに主演、人気を得る。映画デビューは’61年。野性的なルックスアクションスターとして売り出したが、’72年「脱出」で演技開眼。テレビのトークショーにも数多く出演し陽性のキャラクターを印象づけた。’76年「ゲイター」で監督業に進出。’72年女性誌「コスモポリタン」にオール・ヌードで登場したスキャンダルや、華やかな女性遍歴の持ち主としても知られ、’78〜81年は“マネー・メーキング・スター”のトップに君臨した。’80年代に入りコメディにも新境地を開拓。’90年代以降は一時の勢いをなくすが、’97年「ブギー・ナイツ」でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ健在ぶりを示した。他の出演作に映画「ロンゲスト・ヤード」(’74年)、「トランザム7000」(’77年)、「シャーキーズ・マシーン」(’81年,監督も)、「キャノンボール」(’81年)、「シティヒート」(’84年)、「レンタ・コップ」(’88年)、「素顔のままで」(’96年)、「ドリヴン」(2001年)、「HOTEL ホテル」(2001年)、「エンドゲーム 大統領最期の日」(2006年)、テレビ「B.L.ストライカー」(1988〜90年)、「イブニング・シェード」(’90〜94年)など。著書に自伝「My Life」(’94年)がある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「バート レイノルズ」の解説

バート レイノルズ
Burt Reynolds


1936.2.11 -
米国の男優。
ジョージア州ウェイクロス生まれ。
本名Burton〉 バートン〈Reynolds レイノルズ。
フットボールの奨学金でフロリダ州立大学に入学するが、突然の自動車事故で膝をいためプロの道を断念する。そこでかねてから興味のあった俳優志望に転向し、パームビーチ・ジュニア・カレッジの演劇科に入学。「ミスタア・ロバーツ」で注目を浴びる。またアクション・シリーズ「夜間捜査官ホーク」「警部ダン・オーガスト」で人気を得、映画のデビュー作は「奇蹟の天使」(1961年)。「ゲイター」(’76年)では監督業に進出。’88年ロニ・アンダーソンと再婚。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「バート レイノルズ」の解説

バート レイノルズ

生年月日:1936年2月11日
アメリカの俳優;映画監督

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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