バーベンベルク家(読み)ばーべんべるくけ(英語表記)Babenberger

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バーベンベルク家」の意味・わかりやすい解説

バーベンベルク家
ばーべんべるくけ
Babenberger

10世紀末から13世紀中葉までオーストリアを支配した名家。976年レオポルト1世(在位976~994)がオストマルクOstmark(後のオーストリア)辺境伯に封じられて以来、ドイツ人の植民とともに南東方へ家領を広げた。1139年レオポルト4世(在位1136~41)はバイエルン公に封じられて繁栄し、ハインリヒ2世(在位1141~77)時代、ウィーン宮廷を置いた。1156年に辺境伯から独立の公領へ昇格し、領邦国家確立に向かう。東方へ拡大政策をとったフリードリヒ2世(在位1230~46)は、1246年ハンガリーと交戦中陣没し、バーベンベルク家の270年にわたるオーストリア支配は終わった。

[進藤牧郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のバーベンベルク家の言及

【ウィーン】より

…いまもウィーンには塩河岸Salzgriesの地名が残っている。 1135年ウィーンはバーベンベルク家の支配下にはいり,翌々年の記録には〈キウィタスcivitas〉と記される。当時の支配者レオポルト3世は以後ウィーンのパトロンとして記念され,その子ハインリヒ2世は56年ころ居城をクロスターノイブルクからウィーンへ移した。…

【オーストリア】より


[ハプスブルク王制の確立]
 次にくる約1000年の時期,オーストリアを支配するのはバーベンベルクBabemberg家とハプスブルク家の二つの王朝である。バーベンベルク家は270年間,ハプスブルク家は640年間オーストリアを統治するのである。すなわち976年にバーベンベルク家のレオポルトが辺境伯領オーストリアに封ぜられ,12世紀にはハインリヒ2世がウィーンに居城を構えた。…

※「バーベンベルク家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android