パウエル(Cecil Frank Powell)(読み)ぱうえる(英語表記)Cecil Frank Powell

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

パウエル(Cecil Frank Powell)
ぱうえる
Cecil Frank Powell
(1903―1969)

イギリスの物理学者写真乾板を用いた高速粒子検出法を創始し、宇宙線研究に新生面を開いて、1950年ノーベル物理学賞を受賞した。また科学運動の指導者の一人。

 ケント州トーンブリッジに生まれ、ケンブリッジのシドニー・サセックス・カレッジを卒業、1925年の自然科学トリポスの第一席を得て、キャベンディッシュ研究所に入り、ラザフォード、C・T・R・ウィルソンの影響を受け凝縮現象を研究し学位を得た。1927年ブリストル大学に地位を得て以後、チンダルのもとにあって1948年物理学教授、1964年H・H・ウィルズ物理研究所所長となり退官までその職にあった。ノーベル賞のほか王立協会のヒュー・メダル、ロイヤル・メダルを受け、またソ連科学アカデミー(現、ロシア科学アカデミー)からロモノーソフ金賞を得ている。

 写真乾板による粒子の軌跡の検出に着手したのは1930年代終わりで、乳剤の開発により軌跡が可視となると、これを顕微鏡下で調べることにより粒子の質量・電荷・エネルギーを定める方法を進めた。湯川秀樹中間子の存在を予言して以来、この粒子の発見は物理学者の課題であったが、発見された粒子(μ(ミュー)中間子)は湯川の予言とは性質を異にしていた。予言された粒子(π(パイ)中間子)を発見したのはパウエルとそのグループで、彼らは写真乾板により、π中間子が2×10-8秒の寿命でμ中間子(およびニュートリノ)に崩壊することを示したのである。その後、不安定な素粒子の発見が進められ、今日の素粒子物理学端緒が開かれた。パウエルは国際的な共同研究の体制を組織し、気球による観測からヨーロッパ諸国の原子核研究の共同研究所としてのCERN(セルン)(ヨーロッパ原子核研究機構)の設立に尽力した。そして宇宙線研究でのブリストル・グループはとくに1946~1956年にわたる10年間の業績によってあまりにも著名である。またパウエルは、科学が社会で果たす役割について優れた見識をもち、実践的な活動をも進めた。科学者の社会的責任を説く世界科学者連盟(WFSW)の会長としてその指導にあたり、またパグウォッシュ運動の創始者として活動し、国際的な科学者運動の中心的存在としてその役割を果たした。

[藤村 淳]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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