コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

パテト・ラオ Pathet Lao

世界大百科事典 第2版の解説

パテト・ラオ【Pathet Lao】

ラオス国〉の意であるが,ラオス独立戦争におけるネオ・ラオ・イッサラ(自由ラオス戦線)の戦闘部隊をいう。フランス領インドシナ連邦下にあったラオスでは1945年,フランスからの独立を要求するラオ・イッサラ(自由ラオス)が臨時政府を樹立し,同政府は翌年タイのバンコクに亡命した。49年フランス連合内での協同国として独立が認められると,ラオ・イッサラは分裂し,50年左派は王族のスパヌウォンを議長にネオ・ラオ・イッサラを結成し,北部ラオスのサムヌア,フォンサーリー両州を解放区として臨時抗戦政府を樹立した。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のパテト・ラオの言及

【インドシナ戦争】より

… カンボジアでは46年1月,フランス連合内での自治が許されたが,以後シアヌークはクメール・イッサラ,クメール抵抗派(ベトミン系)を攻撃するかたわら,フランスから軍事権,外交権を次々に奪還し,54年3月までに完全独立を達成した。 ラオスでは49年7月,フランス連合内での自治が許されたが,これを不満とするパテト・ラオ(ラオス人の国)はゲリラ戦に入ってフランス軍,ラオス王国政府軍と対抗した。54年ジュネーブ会議では,(1)ベトナム人民軍,フランス軍の撤退,(2)パテト・ラオ軍の北部2省集結,(3)総選挙による統一,が合意された。…

【ラオス】より

…1956年にはラオス愛国戦線と改称。この戦闘部隊をパテト・ラオと呼ぶ)を結成し,臨時抗戦政府をサムヌア省に樹立した。54年ベトナムにおけるディエンビエンフーの勝利を可能にしたのは,パテト・ラオ勢力がラオス北部のポンサリ省とサムヌア省を解放区としていたことが大きかった。…

※「パテト・ラオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

パテト・ラオの関連キーワードインドシナ人民首脳会議ヌハク・プームサバンカイソン・ポムビハンネオ・ラオ・イッサララオス人民革命党ラオス愛国戦線ラオス和平協定インドシナ問題ラオスと米国スファヌボンパテト・ラオラオス史LPRPカイソンコン・レプーマ