世界大百科事典(旧版)内のパンジャーブ[州](パキスタン)の言及
【パキスタン】より
…この時点でパキスタン・イスラム共和国となったが,62年3月~64年1月の間は〈パキスタン共和国〉と称した。 〈パキスタンPAKISTAN〉とはウルドゥー語で〈清浄な国〉を意味すると同時に,パンジャーブ州のP,北西辺境州(アフガン州)のA,カシミールのK,シンド州のS,バルーチスターン州の末尾のTANを結合したものである。独立当時は東西に1800kmも離れた〈飛び地国家〉で,面積では〈西〉が85%,人口では〈東〉が55%を占めた。…
【パンジャーブ】より
…その範域は,自然地理的には,ほぼヤムナー川以西,タール砂漠北縁部以北,スライマーン山脈東麓以東,シワリク丘陵以南の平原を指す。政治的にはこれより大きく,1910年代の英領パンジャーブと諸藩王国の範域は,現在のパキスタンのパンジャーブ州(面積20万3000km2,人口5046万,1983。州都ラホール),インドのパンジャーブ州(面積5万0400km2,人口2028万,1991。…
※「パンジャーブ[州](パキスタン)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」