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ヒッティーンの戦 ヒッティーンのたたかい

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世界大百科事典 第2版の解説

ヒッティーンのたたかい【ヒッティーンの戦】

ティベリアス湖西方のヒッティーンHiṭṭīnで行われたムスリム軍と十字軍との決戦。1187年3月,サラーフ・アッディーンは聖戦(ジハード)を宣して,エジプトシリアジャジーラから1万2000の正規軍と2万余の補助軍を結集,一方,エルサレム王のギーもほぼ同数の十字軍騎士を集めてこれに対抗した。7月4日の戦いはムスリム軍の圧倒的な勝利に終わり,ギーを捕虜としたサラーフ・アッディーンはその余勢を駆って同年10月,約80年ぶりにエルサレムを奪回した。

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世界大百科事典内のヒッティーンの戦の言及

【十字軍】より

…フランス王ルイ7世,ドイツ王コンラート3世の遠征によるイスラム側ダマスクスへの攻撃(1148)は,喪失領土の回復戦略とはなり得ず,その敗退によってザンギー朝のヌール・アッディーンの下でのアレッポとダマスクスの同盟を許し,十字軍国家はシリア沿岸部の狭小な帯状地域に圧縮された。 12世紀中葉から末期にかけて,十字軍側と,ファーティマ朝を打倒してエジプトとシリアにまたがるイスラム統一勢力を結集した英傑サラーフ・アッディーン(サラディン)を始祖とするアイユーブ朝(1169‐1250)の〈ジハード(聖戦)〉との戦いは,エルサレムの争奪をめぐって熾烈となり,1187年7月ヒッティーンの戦に大勝したサラーフ・アッディーンはエルサレムを同年10月に奪回した。これに対し西欧3大国の君主(イングランド王リチャード1世,フランス王フィリップ2世,神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世)が勢ぞろいした大規模な第3回十字軍(1188‐91)が編成され,両者の争いはその最高潮に達したが,結局西欧側の退勢を挽回し得ず,かろうじて1192年エルサレムへのキリスト教徒巡礼の自由通行を保障する協定の締結をもって幕を閉じた。…

※「ヒッティーンの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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