ヒ(砒)素(読み)ひそ

改訂新版 世界大百科事典 「ヒ(砒)素」の意味・わかりやすい解説

ヒ(砒)素 (ひそ)
arsenic

周期表第ⅤB族,窒素族に属する元素。かなり古くから知られていた元素で,前4世紀ころすでにアリストテレスが顔料に用いられた雄黄As2S3について記載している。化合物,単体ともに錬金術者に興味がもたれ,とくに銅をヒ素の硫化物(雄黄)で処理すると白色で一見銀のようにすることができることから,金属変換の要素として重要視された。また,ギリシア時代にすでに治療薬として使われた記録もあり,一般には毒薬として広く使われた。

 ヒ素は遊離状態でも産するが,大部分は硫化物として広く存在する。雄黄,鶏冠石,硫ヒ鉄鉱,硫ヒ銅鉱等である。銅,鉛,亜鉛,スズなどの硫化鉱石に伴って産することが多い。したがって,これらの硫化鉱から得る金属中にヒ素が不純物として混入してくるのが普通である。単斜ヒ素鉱,金属ヒ化物(FeAs2,CoAs2,NiAs2)としても存在している。

昇華性で,2種あるいは3種の変態が知られている。ヒ素蒸気から360℃以上で析出させると,安定形の灰色金属光沢をもつ金属ヒ素灰色ヒ素,α-ヒ素)が得られる。三方晶系,菱面体の結晶。比重5.73。融点817℃(28気圧)。615℃で昇華する。室温では空気中で安定である。400℃に熱すると白い炎をあげて燃え三酸化二ヒ素As2O3を生ずる。水に不溶。塩酸には侵されないが,濃硝酸あるいは温かい希硝酸には酸化され亜ヒ酸H3AsO3,ヒ酸H3AsO4を生ずる。熱すると多くの金属と反応してヒ化物を生ずる。金属性が最も大きく,導電性を示す。ヒ素蒸気を液体窒素などで急冷すると黄色ヒ素(γ-ヒ素)が得られる。立方晶系。比重2.0。非常に揮発しやすく,手であたためても昇華するくらいである。二硫化炭素に溶けてAs4に相当する分子量を示す。室温で日光照射すると,すぐに灰色ヒ素(α-ヒ素)に転移する。ヒ素蒸気を300℃以下で蒸着するとガラス質の黒色ヒ素(β-ヒ素)を生ずるという。これは少量のヒ素を検出するためのマーシュテストと呼ばれる水素化ヒ素AsH3アルシン)の熱分解によりガラス管内面に生ずるヒ素鏡と同じもので,その詳細についてはまだよくわかっていない。ガス状態では四面体の4頂点をヒ素原子が占めるAs4分子であり(原子間距離2.44Å),800℃以上ではAs2に解離する。

工業的には,硫化鉱石や銅などの製錬の際に発生するヒ素酸化物が濃縮して含まれている煙灰を,焙焼(ばいしよう)して粗製のAs2O3として得ている。これをさらに昇華精製すると純度99%程度のAs2O3となるので,炭素で還元蒸留を行い金属ヒ素(99.5~99.9%)とする。高純度ヒ素(99.9999%)は主としてAs2O3からつくられる。As2O3を塩酸に溶かし,濃硫酸で脱水,蒸留して塩化ヒ素AsCl3とし,精製したのち加水分解して再びAs2O3として乾燥,800℃で水素による還元で単体ヒ素をつくる。これをさらに水素気流中で昇華精製したり,気相ゾーンメルティングによって精製する。

As2O3としてガラスの脱泡,消泡剤,触媒,農薬などに用いられる。またAs2O3は古来種々の形で医薬品に用いられ,秦佐八郎らが606号の名で開発したサルバルサンもこの製剤であった。現在でもAs2O3は薬局方に所収され,歯髄失活薬などにされる。合金材料として,鉛-アンチモン系合金に硬さを増すために少量添加したり,耐熱性向上のために銅に添加される場合もある。高純度ヒ素がつくられるようになってから,化合物半導体としての用途が開けつつある。シリコンに代わるものとしてIC基板に用いることが有望視されている。またオプトエレクトロニクスの分野でも多方面に使用されている。たとえばガリウムヒ素光電極面は近赤外領域の光に対して最も高能率に光電子を放出するので,光電子増倍管などに多く用いられている。インジウム,ガリウム,リン,アルミニウム,ヒ素などからつくられる半導体を用いた発光ダイオード(LED)は,電子機器の信号灯や光ファイバーを用いた比較的短距離の光通信システムに用途を広げている。
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ヒ素化合物には有毒なものが多く,古くから殺鼠剤や毒薬として用いられた。水素化ヒ素は猛毒であり,三酸化二ヒ素,塩化物などがこれに次ぐ。しかし金属ヒ素やガラスに含まれる三酸化二ヒ素は水に溶解しないので,毒性は弱い。これらヒ素化合物は消化管や気道,皮膚を通して吸収され,主として尿中に,また大便や毛髪,脱落する皮膚を通して排出される。吸収されたヒ素化合物は肝臓,腎臓,消化管,脾臓,皮膚,骨などにとり込まれる。原形質毒で,とり込まれた局所で組織の壊死を起こし,種々の中毒症状を現す。ヒ素中毒には急性中毒と慢性中毒があり,前者では胃痛,嘔吐,下痢,腎臓障害による無尿症,皮膚炎,粘膜の炎症などが現れ,重症では,循環障害や痙攣(けいれん),麻痺などで死ぬ。後者では,皮膚の色素沈着,つめ,毛髪の欠損,皮膚癌,多発性神経炎,貧血,肝臓障害などがみられる。

ヒ素を含む粉塵に暴露されたヒ素鉱山やヒ素化合物の製造工場などの作業者にヒ素中毒症が発生し,ヒ素まけ,亜ヒまけなどと呼ばれる皮膚炎を起こし,黒皮症,ボーエン病,皮膚癌,肺癌などが発症する。〈亜ヒ焼き〉と呼ばれる亜ヒ酸(三酸化二ヒ素)製造所の排煙,排水が周辺の環境を汚染し,作業者や住民に慢性ヒ素中毒症を起こした事例として,宮崎県土呂久鉱害や島根県笹ヶ谷鉱害が知られている。また,ヒ素化合物製造工場の排水によって汚染した井戸水によって住民にヒ素中毒が発生した事例もある。1955年,西日本一帯の乳児にヒ素中毒が多発し,患児約1万2000人,うち死亡131人の大惨事となった森永ヒ素ミルク中毒事件は,粉乳に安定剤として入れた第二リン酸ソーダ(リン酸水素二ナトリウム)に含まれていた不純物のヒ素が原因であった。本事件は大きな社会的反響を呼び,〈食品衛生法〉改正の契機となった。〈水質汚濁防止法〉によりヒ素の環境基準は0.01mg/l以下,排出基準は0.1mg/l以下と定められている。
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百科事典マイペディア 「ヒ(砒)素」の意味・わかりやすい解説

ヒ(砒)素【ひそ】

元素記号はAs。原子番号33,原子量74.921595。融点817℃(36気圧)。窒素族元素の一つ。きわめて古くから知られ,錬金術師は医薬として使用。灰色ヒ素(金属ヒ素),黄色ヒ素,黒色ヒ素の3種の同素体がある。灰色ヒ素はいくぶん金属光沢ある灰色固体で,常温,空気中で安定。硬度3〜4,金属に似て熱の良導体,昇華温度603℃。二硫化炭素に不溶。ヒ素蒸気を急冷すると黄色ヒ素が得られ,これは透明で蝋のようにやわらかい結晶。300℃以下で蒸着するとガラス質の黒色ヒ素を生じる。電気を導かず,二硫化炭素に溶け,ニンニク臭がある。熱するか光を照射すると灰色ヒ素に変わりやすい。いずれも化学的性質はリンに似るが,より金属的。水,希酸には不溶。濃硝酸,濃硫酸などには溶け,ヒ酸,亜ヒ酸などとなる。主要鉱石は硫ヒ鉄鉱,雄黄,鶏冠石などの硫化鉱物。まれに遊離状態で産することもある。銅,鉛などの製錬の副産物として得られる。合金元素あるいはIII‐V化合物半導体の成分元素として重要。化合物は農薬,殺虫剤などとして使用。ヒ素化合物は一般に強い毒性をもつ。→ヒ素中毒
→関連項目海洋投棄規制条約環境基準

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