ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピアスト朝」の意味・わかりやすい解説
ピアスト朝
ピアストちょう
Piastowie
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
中世ポーランドの王朝。伝説によれば、ピアストという農民がポラニェ人の首長となり、諸部族を統合して王朝を創始したといわれる。史料で確認できる最初の君主はミェシコ1世Mieszko Ⅰ(在位960ころ~992)で、彼の代にキリスト教を受容し、ドイツ人の進出に対抗するため国家を教皇の保護下に置き、その子ボレスワフ1世は領土を拡大し、晩年国王の称号を得てポーランド国家の基礎を固めた。その後、ピアスト朝の諸公への分領によってポーランドは分裂状態に陥ったが、ウワディスワフ・ウォキェテク(ウワディスワフ1世)によりふたたび統合された。その子カジミェシュ3世(大王、在位1333~70)の死後、ピアスト朝の直系は絶えたが、傍系の子孫が、マゾフシェ公国には1526年まで、シロンスク(シュレージエン)には1675年まで公として存在した。
[安部一郎]
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新