世界大百科事典(旧版)内のピウス[10世]の言及
【カトリック運動】より
…運動成立の歴史的背景となったのは,フランス革命以降の教会諸特権の廃止と政教分離の進行,また,それに対応する教会機構の変容,すなわち各地の司教権力の衰退と教皇への中央集権化の動きである。しかし,より直接的な契機となったのは,1848年における教皇ピウス9世のイタリア独立戦争からの脱落とその後の急速な反動化だった。彼は64年《謬説表Sillabus》により合理主義や自由主義を排撃し,70年の第1バチカン公会議では教皇不可謬性を教義化さえした。…
【教皇】より
…公会議後の諸教皇には人間的欠点が見られるとしても,教会の最高牧者にふさわしくない教皇は一人もいない。ピウス5世PiusV(1566‐72),グレゴリウス13世(1572‐85),シクストゥス5世SixtusV(1585‐90)はカトリック刷新に献身し,パウルス5世(1605‐21),グレゴリウス15世(1621‐23)はこれを続行した。ウェストファリア条約締結からフランス革命にかけての時代に西欧の世俗化が進展し,教皇職の地位はカトリック諸国においても衰えた。…
※「ピウス[10世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」