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ピニョー・ド・ベーヌ ピニョー・ド・ベーヌ Pigneau de Béhaine, Pierre Joseph Georges

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ピニョー・ド・ベーヌ
ピニョー・ド・ベーヌ
Pigneau de Béhaine, Pierre Joseph Georges

[生]1741. エーヌ,オリニーティエラシュ
[没]1799. ビンディン
フランス宣教師パリ外国宣教会に所属し,1765年よりコーチシナで布教。 69年迫害を逃れてインドポンディシェリーに行き,教皇代理職アドラン司教に任じられた。 74年以来カンボジアコーチシナなどで布教したが,84年タイソン (西山) 党の乱に生残った阮氏一族の阮福映に会い,彼の勢力回復に助力するため福映の子の阮福景を伴ってフランスに帰国し,ルイ 16世に謁し,87年フランス=ベトナム攻守同盟を結んだ。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ピニョー・ド・ベーヌ
ぴにょーどべーぬ
Pierre Joseph Georges Pigneau de Bhaine
(1741―1799)

フランスの宣教師。フランス北部、エーヌ県のティエラシュに生まれ、外国宣教会から東インドに派遣されて1767年からインドシナ布教に従い70年アドラン司教となった。83年内乱のベトナムで西山党(タイソン党)と抗争していた阮(げん)福映(グエン・フク・アイン)に長子阮福景(グエン・フク・カイン)を託されてフランスの援助を要請され、パリに帰ってルイ16世に仏・安南攻守同盟条約を結ばせ(1787)、フランス領インドで阮氏援助の義勇軍を募ってベトナムに戻り、百多禄(バク・ダロク)の名で阮氏の幕下に加わったが、その国内統一達成の前にクイニョンで没した。条約はフランス革命のため批准されなかったが、1802年にベトナムを統一し阮朝を創立した阮福映(世祖嘉隆帝)は、その貢献を謝してフランス人を優遇し、これがのちにベトナムがフランス領植民地となる端緒となった。[川本邦衛]

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