世界大百科事典(旧版)内のファルサロスの戦の言及
【カエサル】より
…共和政末期ローマの政治家,将軍。英語読みではシーザー。ガリアを平定してギリシア・ローマ文化をヨーロッパ内陸部にまでひろめる基礎を築き,内乱の勝利者として単独支配者となり,世界帝国的視野に基づく変革を行ったが,共和政ローマの伝統を破るものとみなされて暗殺された。ギリシア・ローマの歴史の流れを決定的に変えた大政治家。将軍・文人としても第一級の人物である。
[コンスルへの道]
女神ウェヌスの裔(すえ)であることを誇る,パトリキ系の名門の出。…
【ローマ】より
…三頭政治はルカの会談(前56)によって延長されたが,クラッススがパルティア遠征に失敗してカラエで戦死(前53)すると,閥族派に傾いたポンペイウスとカエサルとの間に内戦が勃発した。カエサルはまずスペインのイレルダでポンペイウス軍を破り,次いでポンペイウス自身をギリシアのファルサロスで破った(ファルサロスの戦。前48)。…
※「ファルサロスの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」