フアンフェルナンデス諸島(読み)フアンフェルナンデスショトウ(英語表記)Islas Juan Fernández

デジタル大辞泉 の解説

フアンフェルナンデス‐しょとう〔‐シヨタウ〕【フアンフェルナンデス諸島】

Archipiélago Juan Fernández南太平洋東部にある諸島。チリ領。本土沖合約650キロメートルから830キロメートルに位置する。デフォー小説ロビンソン=クルーソー」の舞台となったロビンソンクルーソー島、アレハンドロセルカーク島、サンタクララ島の3島からなる。16世紀後半、スペインの航海家ファン=フェルナンデスにより発見

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

フアンフェルナンデス諸島
フアンフェルナンデスしょとう
Islas Juan Fernández

チリ西岸沖の太平洋にある同国領の島群。バルパライソの西約 650kmに位置するロビンソンクルーソー島 (旧称マスアティエラ島〈1966まで〉,面積 93km2) ,その西約 180kmにあるアレハンドロセルキルク島 (旧称マスアフエラ島〈66まで〉,85km2) ,ロビンソンクルーソー島の南西にある小さなサンタクララ島の3島と多数の岩礁から成る。火山島で,地形はけわしく,最高点はロビンソンクルーソー島で約 900m,アレハンドロセルキルク島では 1600m以上に達する。雨が多く,気候は温暖。アレハンドロセルキルク島は密林におおわれるが,ロビンソンクルーソー島の原生林大部分伐採されている。野生のヤギが多いほか,ブタ,ウシ,ウマなども導入されている。 1563年頃スペイン人航海者フアン・フェルナンデスの一行来訪,数年間島に住んだが,その後は訪れる人もほとんどなかった。 1704年スコットランド人水夫アレグザンダー・セルカークがみずからロビンソンクルーソー島に上陸,09年イギリス船に救出されるまで島で孤独な生活をおくった。イギリス帰還後発表された島での体験談に着想を得て,D.デフォーが『ロビンソン・クルーソー』を書いたといわれる。 19世紀初めチリ領となり,政治犯などの流刑地として利用された。現在ロビンソンクルーソー島以外は無人島。同島に住むわずかな住民はサンフアンバウティスタ村に集中。周辺の海域は豊かな漁場で,ロブスター漁が島民の主産業となっており,サンチアゴブエノスアイレスへ出荷される。バルパライソからの船便,サンチアゴからの航空便があり,最近は観光客も訪れるようになった。

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改訂新版 世界大百科事典 の解説

フアン・フェルナンデス[諸島]
Islas Juan Fernández

チリ中部,バルパライソ港の西方650kmの太平洋上の三つの小島。チリ領。総面積180km2。主島ロビンソン・クルーソー島(マス・ア・ティエラ島)は93km2で人口520(1980)。2番目のアレハンドロ・セルカーク島(マス・アフェラ島)は83km2。漁業が中心でエビを輸出する。1563年スペイン人フアン・フェルナンデスが発見した。1704-09年主島に居住したアレクサンダー・セルカークはロビンソン・クルーソーのモデルである。
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世界大百科事典(旧版)内のフアンフェルナンデス諸島の言及

【ロビンソン・クルーソー】より

…その写実的手法のゆえに近代イギリス小説の原点と評される。17~18世紀に流行した多くの航海記や,チリ沖のフアン・フェルナンデス諸島に漂着し,5年間孤島生活を送ったというアレクサンダー・セルカークなる人物の実話に刺激されて作られた。商人の息子ロビンソンは父の忠告に反して船員となり,さまざまな苦労ののち,無人島に漂着,28年間,最初は1人で,のちには従僕フライデーとともに自給自足の生活を送り,最後には救出されて帰国する。…

※「フアンフェルナンデス諸島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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