世界大百科事典(旧版)内のフェルディナント[1世](ブルガリア)の言及
【ブルガリア】より
…またロシアとの関係が悪化し,翌86年,親ロシア派のクーデタによって公は退位させられた。87年,次の公にドイツのザクセン・コーブルク・ゴータ家出身のフェルディナントが選ばれ,スタンボロフが首相に任命された。しかしフェルディナントはロシアとの関係を重視し,94年にはオスマン帝国との関係を重視し反ロシア政策をとるスタンボロフを解任し,長子ボリス(のちボリス3世)を正教に改宗させるなど,対ロシア関係の改善を図った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」