フェルナンド3世

改訂新版 世界大百科事典 「フェルナンド3世」の意味・わかりやすい解説

フェルナンド[3世]
Fernando Ⅲ
生没年:1201-52

カスティリャ王。在位1217-52年。アルフォンソ10世(賢王)の父。母からカスティリャの王位継承権を譲渡されて即位,やがて父でレオン王のアルフォンソ9世が死ぬとその王位も継いで,1230年カスティリャとレオン2国を最終的に統合した。統合に抵抗する一部の貴族の動きを封じた後,フェルナンド国土回復戦争の推進に全力を傾けた。これよりさきにラス・ナバス・デ・トロサの戦(1212)に敗れて戦意を失っていたアル・アンダルス(イスラム・スペイン)の小国群は,レオンとの統合で強化されたカスティリャ軍の前に相次いで降伏し,王が死去したときにはグラナダ王国のみが残った。このときカスティリャの領土イベリア半島の1/7から2/3へと飛躍的に拡大するとともに,同国は北のカンタブリア海と南のジブラルタル海峡の2方向に後の海上発展の可能性を得た。1671年,ローマ教皇庁はフェルナンドを列聖,この結果〈聖王el Santo〉と通称される。
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367日誕生日大事典 「フェルナンド3世」の解説

フェルナンド3世

生年月日:1198年6月24日
カスティリア王(在位1217〜52),レオン王(在位30〜52)
1252年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のフェルナンド3世の言及

【カスティリャ王国】より

…10世紀に入るとレオン王国の衰微,戦乱下の辺境という事情に起因する政治・法律・社会・文化面での特殊性,優れた政治的才覚をそなえたフェルナン・ゴンサレス伯の登場等を要因に内部統一が達成され,レオン王への従属関係はほとんど有名無実となっていった。11世紀前半,後ウマイヤ朝が崩壊してアル・アンダルスが分裂に陥る一方,カスティリャはフェルナンド1世の下にレオンを合併する形で王国となった(1037)。この後,両国は王権による連合と離反を繰り返しながらも再入植運動の進行,移牧経済の発展,社会条件の接近等からしだいに親和の度を深め,1230年フェルナンド3世によって最終的統合に達した。…

※「フェルナンド3世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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