フォッカー(読み)ふぉっかー(英語表記)Fokker, Anthony Herman Gerard

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォッカー」の意味・わかりやすい解説

フォッカー
ふぉっかー
Anthony Hermann Gerard Fokker
(1890―1939)

オランダ飛行機製作者。ドイツ操縦を学び、1912年にベルリン南郊(のちにシュウェーリンへ移る)で飛行機会社を設立した。第一次世界大戦中はドイツの戦闘機を生産した。木製翼に鋼管溶接羽布張り胴体で生産性が高く、プロペラ回転面を通して機関銃を発射する方法も開発した。1919年オランダに帰りフォッカー社を創設し、民間輸送機を製作した。合板張り主翼が特徴のスーパーユニバーサルは広く使われ、一時代を画したが、やがて全金属機に席を譲った。フォッカー機の設計は、溶接技術者出身のドイツ人プラッツReinhold Platz(1886―1966)が担当し、フォッカーは社長とパイロット立場で監督した。1922年アメリカに渡り、アメリカン・フォッカー社設立ののち、1931年に帰化した。

佐貫亦男

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォッカー」の意味・わかりやすい解説

フォッカー
Fokker, Anthony Herman Gerard

[生]1890.4.6. ジャワケディリ
[没]1939.12.23. ニューヨーク
オランダの飛行機製作者,飛行家。ジャワ島の富裕なコーヒー園経営者の子で,家族とともにオランダのハールレムに帰り,同地で教育を受けた。 20歳で自家用飛行機を製作。1911年国際飛行免許を得てドイツに行き,1912年ベルリン近郊に飛行機製作所を開設。ドイツ政府と契約し,第1次世界大戦中は約 40種の飛行機を製作。特にプロペラの回転と同調する機銃発射装置の発明によりドイツの戦闘機の発達に貢献。戦後アムステルダムに工場を開設したが,1922年アメリカ空軍の招きに応じて渡米し,軍用機の開発に従事。晩年はアメリカ市民権を得て,主として民間機の開発に尽力した。自伝『天翔るオランダ人』The Flying Dutchman(1931)がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android