フォック(読み)Fock,Cornelis Hendricus Mattheus

朝日日本歴史人物事典 「フォック」の解説

フォック

没年:明治16.2.4(1883)
生年:1845.9.21
明治期に来日したお雇い外国人。オランダ医師漢字で保阿倔,法屈,布欧津区などと記す。ユトレヒト生まれ。ユトレヒト大学を1871年に卒業,この間にボードインの教えも受ける。明治10(1877)年,新潟病院(新潟大)に着き,眼科,産婦人科,局所解剖学などの講義を行い,『眼科提要』(1879)を著す。12年,招かれて長崎病院医学校(長崎大)に教師として赴任。一時,ヨーロッパ旅行をし,15年,改めて同校と契約するが,翌年2月,同地で没。大浦外国人墓地に葬られた。<参考文献>蒲原宏「ヴィダル,ヘーデンとフォック」(『医学近代化と来日外国人』)

(長門谷洋治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォック」の意味・わかりやすい解説

フォック
Fock Jenö

[生]1916.5.17. ブダペスト
[没]2001.5.23. ブダペスト
ハンガリーの政治家。労働者出身。 1932年共産党入党。 1940~43年入獄。 1952~54年冶金・機械省次官。 1955~57年労働組合全国会議書記。 1957~61年社会主義労働者党政治局員。 1961~67年副首相となり,1967年4月首相に就任,カーダール体制のもとで,経済改革推進と西側諸国との関係改善に努力したが,1975年5月辞任。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「フォック」の解説

フォック Fock, Cornelis Hendricus Mattheus

1845-1883 オランダの医師。
1845年9月21日生まれ。明治10年(1877)政府の招きで来日,新潟医学校(新潟大医学部の前身)教師となり眼科,産婦人科をおしえた。12年長崎医学校にうつる。明治16年2月4日長崎で死去。37歳。ユトレヒト出身。

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