イタリアの彫刻家,画家で空間主義の創始者。アルゼンチンに生まれ,若いころミラノとアルゼンチンを往復して主として彫刻や陶芸の実験的制作を行う。1946年彼の制作の分水嶺をなす《白の宣言》をブエノス・アイレスで発表,ここでは理性万能主義を排した。翌年ミラノに戻って《空間主義の第一宣言》を発表,その後この宣言は第5回(1951)まで彼の手で発表された。49年ミラノのナビリオ画廊で公にした《空間的形態をもち,黒い光に照らされた空間的環境》と題する作品は,空間主義の最初の作品と考えられる。その後50年代には,キャンバスに穴を開けたり,ナイフで切り傷をつける作品を発表。これらは,〈絵のこちら側と向う側,内部と外部の2重空間というあいまいさによる絵画の象徴的な破壊〉(G.C. アルガン)であり,フォンタナの空間主義の輪郭を明確にする。60年代の作品は舞台空間の構成をとり,《空間概念》のシリーズでは,穴によって流れるような線の溝を作ったキャンバスを背景に木製の枠をはめ,彼の,宇宙の不思議なリズムを表現する。フォンタナの空間主義はアンフォルメルの一翼をになうものともいえ,戦後イタリアの若い芸術家に影響を与えた。
執筆者:井関 正昭
イタリアの建築家。教皇シクストゥス5世(在位1585-90)に仕え,教皇都市ローマの都市整備に貢献した。1585年サン・ピエトロ大聖堂わきの大オベリスクを大聖堂前広場に移設し,名を高めた。運搬には900人140頭の人馬,巨大な木枠と40の巻上げ機が使われ,その様子は自作の版画集に収録された。その指揮下に建設が進行していた市内主要路の結節点として,サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂,サンタ・マリア・マッジョーレ教会,ポポロ広場にもオベリスクを移設し,由緒ある教会堂を結ぶ直線街路から構成されるローマに新しい景観をつくり出した。ラテラノ大聖堂に隣接するラテラノ宮殿,ナポリ王宮等多くの建築作品があり,様式と意匠に独創性を欠くものの,雄大壮麗な規模に都市建築家としての意欲がうかがえる。兄ジョバンニ・フォンタナGiovanni Fontana(1540-1614)は技師としてローマの利水工事に活躍した。ベルニーニの助手を務め,ローマ市内に多くの建築を残したバロック時代の建築家カルロ・フォンタナCarlo Fontana(1638-1714)は同族の後裔。
執筆者:日高 健一郎
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… 第2次大戦ののち,社会主義リアリズムの理論を掲げる具象派のグットゥーゾRenato Guttuso(1912‐87)はイタリア左翼の具象芸術を代表し,トゥルカートGiulio Turcato(1912‐ ),ベードバEmilio Vedova(1919‐ )らは抽象的手法を主張し論争を巻き起こした。1950年代以後,すでにタブローとしての芸術をこえて,材質そのものをコラージュするブリAlberto Burri(1915‐ ),キャンバスをかみそりで裂くL.フォンタナ,物質そのものを提示するマンゾーニPiero Manzoni(1934‐63),クーネリスJannis Kounelis(1936‐ ),パオリーニGiulio Paolini(1940‐ )など,芸術の領域の変質を迫る運動が活発となった。今日,イタリアの現代画家は,テクノロジーの利用,ボディ・アートなどさまざまな可能性を探求する国際的な動きの中で,その第一線に立っている。…
※「フォンタナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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