日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
フランク(César Franck)
ふらんく
César Franck
(1822―1890)
フランスの作曲家、オルガン奏者。フランス語圏のべルギー人の父、ドイツ人の母をもつ。生地リエージュ(ベルギー)の音楽院に学び、9歳でソルフェージュ、11歳でピアノの各科を卒業、13歳ごろからベルギー各地でピアノ演奏会を行い、自作も発表した。1835年パリに移り、37年パリ音楽院に入学、ピアノ、オルガン、作曲などを学ぶ。42年父は息子を演奏家として活躍させようと考え、パリ音楽院からは退学を余儀なくされた。しかし、演奏家としては成功せず、父子間の関係も破綻(はたん)した。以後、教会オルガン奏者、教育者として生計をたてる一方、作曲活動にも力を注ぐようになった。58年、パリの聖クロティルド教会オルガン奏者に就任、カバイエ・コル製作の優れた大オルガンを使った即興演奏やオルガン音楽の作曲によってしだいに知られるようになる。71年には、フランスの器楽曲創作を推進しようとサン・サーンスらにより設立された国民音楽協会に協力、翌72年パリ音楽院オルガン科教授に迎えられる。70年代の後半にワーグナーの影響を受けた管弦楽曲などを作曲したのち、80年ごろから充実した独自の形式とスタイルによる作品を次々に発表、そのなかにはピアノ曲『前奏曲・コラールとフーガ』(1884)、ピアノと管弦楽のための『交響的変奏曲』(1885)、バイオリン・ソナタ(1886)、交響曲ニ短調(1886~88)、オルガン曲『三つのコラール』(1890)など、彼の代表的傑作が含まれていたが、当時はほとんどの作品が不評で、真価が認められたのは彼の死後であった。
フランクは、オペラと演奏家の表面的な名人芸が人気を得た19世紀後半のフランスの音楽界で、それらの流行に追随するのをもっとも明確に拒んだ作曲家であった。そして、バッハをはじめとするドイツ音楽の厳密な論理的構成に比肩する形式を探究し、全曲が一つのモチーフの多彩な変化によって有機的に構築されるという独自の形式、すなわち循環形式を確立した。晩年の名作の大半がこの形式によって作曲されている。また、18世紀後半以後沈滞していたフランス・オルガン音楽の復興に努めた。彼の交響的なスケールと色彩感、充実度を備えたオルガン曲は、フランス・ロマン派オルガン音楽の出発点となるものである。フランクは教育者としても優れ、次代のフランス作曲界を担う逸材を、それぞれの個性をだいじにしつつ教育し、世に送り出してもいる。
[美山良夫]
『E・ビュアンゾ著、田辺保訳『フランク』(1971・音楽之友社)』