日本大百科全書(ニッポニカ) 「フリードリヒ(美王)」の意味・わかりやすい解説
フリードリヒ(美王)
ふりーどりひ
Friedrich der Schöne
(1286―1330)
ハプスブルク家のドイツ国王(在位1314~30)。オーストリア大公としてはフリードリヒ3世(在位1308~30)。端麗な容姿のため「美王」とよばれた。ドイツ国王アルブレヒト1世の息子。ルクセンブルク家のドイツ国王ハインリヒ7世の死後、選帝侯は二派に分かれ、一方はウィッテルスバッハ家のルートウィヒ4世を、他方はフリードリヒを国王に選んだ(1314)結果、両者は王位をめぐって長期間争うことになった。1322年ミュールドルフの戦いでフリードリヒは決定的に敗北、捕虜となったので、ルートウィヒの単独支配が実現した。ルートウィヒが教皇と争い、皇帝戴冠(たいかん)を目ざしてイタリア遠征を行ったのち、フリードリヒは釈放され、共同統治権を認められた。
[平城照介]