世界大百科事典(旧版)内のフリードリヒ[1世](好戦侯)の言及
【ザクセン】より
…そして,同家のハインリヒ獅子公は,事実上,旧部族領域全体に大公権を及ぼすとともに,北東方のスラブ人諸公国をも支配下におくことにより,ほとんど国王類似の地歩を北方に築くにいたった。しかし,このことが逆にシュタウフェン家の皇帝フリードリヒ1世との対立を不可避ならしめ,結局,1180年の裁判によって獅子公は失脚する。このとき,ザクセン大公領は解体され,大公権は,ケルン大司教に分与された南西部をのぞきアスカニア家Askanierに与えられたが,そのどちらもまた,後に再び大公位に昇格した(1235)ウェルフェン家も,みずからの大公権を基礎として旧ザクセン大公領を再建することができず,爾来この地域では多くの聖俗領邦の分立状態が定着する。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」