フリードリヒウィルヘルム3世(英語表記)Friedrich Wilhelm Ⅲ

改訂新版 世界大百科事典 の解説

フリードリヒ・ウィルヘルム[3世]
Friedrich Wilhelm Ⅲ
生没年:1770-1840

プロイセン王。在位1797-1840年。同2世の子。性格積極性に欠け,つねに慎重な保守主義指針とした。プロイセン改革解放戦争に当たっては新時代精神を追認したが,それを理解したわけではなく,幾度憲法発布を約束しながら実行しなかった。ウィーン会議後は〈神聖同盟〉の信奉者として自由と統一運動を弾圧している。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のフリードリヒウィルヘルム3世の言及

【プロイセン】より

… これ以後,プロイセン公国は,ホーエンツォレルン家のもとに,同君連合のかたちで,歴代のブランデンブルク選帝侯の支配をうけるが,プロイセンに対するポーランドの宗主権はなおも存続した。ようやく〈大選帝侯〉フリードリヒ・ウィルヘルム(在位1640‐88)のとき,スウェーデン・ポーランド間の戦争(1655‐60)に乗じて,ブランデンブルクはポーランドからプロイセン公国における完全な主権を獲得し(1657),1660年のオリバOliva和約でこの主権はスウェーデン・ポーランド両国により承認された。 プロイセン公国でも,ブランデンブルクにおけると同様,16世紀以来ユンカー(地方貴族)の農奴制的な直営地経営(グーツヘルシャフト)が発展していた。…

※「フリードリヒウィルヘルム3世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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