日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
フレミング(Sir John Ambrose Fleming)
ふれみんぐ
Sir John Ambrose Fleming
(1849―1945)
イギリスの電気工学者、二極真空管の発明者。牧師の子としてランカスターに生まれる。1870年ロンドン大学を卒業し、一時商社に勤めた。マクスウェルの『電磁気学』に感銘し、1877年奨学金を得てケンブリッジ大学に入学、キャベンディッシュ研究所のマクスウェルの下で学んだ。ここで標準抵抗値と精密比較するための抵抗ブリッジ、通称「フレミングのバンジョー」を組み立てるなど電気測定や変圧器の設計に取り組んだ。1880年ロンドン大学で博士号を取得、1885年同大学最初の電気工学教授となり、1926年まで在籍した。大学では発展しつつある電気技術の基礎をわかりやすく教えることに苦心し、「フレミングの法則」を考案した。
実地の技術にも関心が深く、1881年から10年間ロンドンのエジソン電灯会社(後のゼネラル・エレクトリック社)の技術顧問を務め、イギリスにおける電灯と電話の開拓者の一人になった。また1900年から25年間マルコーニ無線電信会社の技術顧問を務め、1901年大西洋横断通信のニューファンドランド受信局の設計、1904年「振動バルブ」すなわち二極真空管の特許取得、1906年アンテナの指向性の理論づけを行うなど無線電信の実用化に貢献した。エジソン効果(熱電子放出)を思い出して開発したといわれる二極真空管の開発は、高周波交流の検波を可能にしただけにとどまらず、今日の電子工学への第一歩を切り開いた。1930年からはテレビジョン学会の会長として活躍、1945年4月18日死去。
[高橋智子]