フレーザー(英語表記)James George Frazer

デジタル大辞泉 「フレーザー」の意味・読み・例文・類語

フレーザー(James George Frazer)

[1854~1941]英国の人類学者・古典学者。膨大な資料を駆使して未開文化の風俗習慣や信仰を研究。主著「金枝篇」では呪術じゅじゅつや宗教の進化理論を展開した。

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精選版 日本国語大辞典 「フレーザー」の意味・読み・例文・類語

フレーザー

(Sir James George Frazer サー=ジェイムズ=ジョージ━) イギリスの文化人類学者、民俗学者。宗教の呪術起源論は有名。主著「金枝篇」。(一八五四‐一九四一

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改訂新版 世界大百科事典 「フレーザー」の意味・わかりやすい解説

フレーザー
James George Frazer
生没年:1854-1941

イギリスの社会人類学者。グラスゴーに生まれ,ケンブリッジ大学で古典学を修め,1879年そのフェローとなる。1907-08年の1年間リバプール大学社会人類学教授をつとめたが,これがイギリスの大学における社会人類学の最初の講座であった。終生ケンブリッジにとどまり,21年トリニティ・カレッジ教授に就任。全世界の民族誌資料,西洋古典・民俗学資料を博捜し,人間の宗教的思考の諸形態を集成した《金枝篇》全13巻(1890-1936)がその代表作である。また《サイキス・タスク》(1909),《トーテミズムと外婚制》(1910),《旧約聖書における民俗学》(1918)などの著作がある。彼は人類の思考様式進化の再構成を図り,呪術→宗教→科学という3段階の図式を提唱した。呪術とは類感と感染の2原理により世界を操作しようという誤てる技術であり,その失敗の自覚から超越的なものの前にひれ伏す宗教が生まれ,またさらには人間の能力の限界内で論理的・実験的に世界に対処せんとする科学が生まれたというのである。社会進化論にもとづく過度の一般化・単純化,個々の資料の扱いの恣意性などのゆえに,フレーザーの論はその後強い批判をうけることになる。だが時代的制約による限界にさえ留意するなら,人間が世界を把握するための思考様式を全世界規模の比較によって構造的に理解しようとしたかれの仕事から,今日学びうるところは大きい。
執筆者:

フレーザー
Simon Fraser
生没年:1776-1862

アメリカの探検家。ニューヨークの王党派(ローヤリスト)の息子として生まれ,幼少のころケベックに移住。1792年から北西会社で働くようになり,1805年以降,ロッキー山脈以西の担当者となる。現在のブリティッシュ・コロンビア州の奥地に会社の駐在所を次々に設営し,そのかたわら測量に従事。1808年にはのちに彼の名を冠されることになるフレーザー川を水源から河口近くまでたどった。1820年ごろに引退。
執筆者:

フレーザー
George Sutherland Fraser
生没年:1915-80

イギリスの批評家,詩人。スコットランド出身。詩集《故郷の哀歌》(1944)以来,オーデンらの政治詩とは異なる詩風を示したが,批評家としての活躍のほうがめざましい。《現代作家とその世界》(1953),《幻視と修辞》(1959)は現代文学概論としてすぐれ,《イェーツ》(1954),《ディラン・トマス》(1957),《エズラ・パウンド》(1960)などの詩人論も記憶される。1950-52年,文化使節として来日した。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フレーザー」の意味・わかりやすい解説

フレーザー
Fraser, Malcolm

[生]1930.5.21. メルボルン
[没]2015.3.20.
オーストラリアの政治家。首相(在任 1975~83)。オーストラリア自由党党首。フルネーム John Malcolm Fraser。オックスフォード大学モードリン・カレッジに学び,1955年に自由党から立候補して国会議員に選出された。自由党と地方党(→オーストラリア国民党)の連立政権陸軍大臣(1966~68),教育科学大臣(1968~69,1971~72),国防大臣(1969~71)を歴任。1975年3月に自由党の党首選挙で当選し,オーストラリア労働党政権のガフ・ホイットラム首相が罷免された 1975年11月,首相に指名され就任した。同年 12月の選挙で自由党と国民地方党が大勝したことにより首相としての地歩を固め,両党の連立内閣を再度組織した。インフレーション抑制のため,歳出の削減,労働組合の大幅な賃上げ要求の阻止などの措置を講じた。またアンザス条約のもとでオーストラリアの防衛上の責務を重視した。フレーザー政権は 1977年と 1980年の選挙にも勝利したが,1983年3月の選挙で労働党に敗れた。フレーザーはただちに党首の座を退き,まもなく国会議員も辞職した。

フレーザー
Frazer, Sir James George

[生]1854.1.1. グラスゴー
[没]1941.5.7. ケンブリッジ
イギリスの人類学者,民族学者,古典文献学者。グラスゴー,ケンブリッジの各大学に学び,1907年ケンブリッジ大学社会人類学教授。 E.タイラーや W. R.スミスの影響で比較宗教学的関心をいだき,1890年『金枝篇』 The Golden Bough (3版,12巻,1907~15,省略版,1巻,22) を出版,呪術と宗教を区別して,思考様式の発展を呪術→宗教→科学と段階づけた。その研究はすべて文献に基づいたものであり,フィールドワークの欠落によるその恣意性がしばしば指摘される。しかし文学と人類学の広い範囲で果した貢献は大きく,数々の賞を得,1914年にナイトの称号を与えられた。ほかに『トーテミズムと外婚制』 Totemism and Exogamy (1910) ,『旧約聖書のフォークロア』 Folk-Lore in the Old Testament (18) など。

フレーザー
Fraser, Simon

[生]1776. ニューヨーク,ベニントン
[没]1862.4.19. アッパーカナダ,セントアンドルーズ
カナダの毛皮商人,探検家。王党派 (ロイヤリスト ) の家に生れ,1784年カナダに移住。 92年に北西会社に入社し,1805年よりロッキー山脈以西の毛皮交易を担当。太平洋への交易路の発見に努力していた彼は,08年フレーザー川を下降。この川に彼の名が冠された。 11年レッド川周辺を担当することになり,敵対するハドソン湾会社の支援するレッドリバー植民地と衝突,16年のセブンオークスの虐殺への加担を疑われ,裁判にかけられたが,無罪となった。 18年に毛皮交易,探検より引退。

フレーザー
Fraser, Peter

[生]1884.8.28. ロス・クロマーティ,ファーン
[没]1950.12.12. ウェリントン
イギリス生れのニュージーランドの政治家。靴屋の子に生れ,大工の弟子を経て 1910年ニュージーランドに移住,港湾労働者となった。労働運動に入り,労働党結成に参画。 18年国会議員。 33~40年労働党副党首。 35~40年 M.サベージ首相のもとで警察相,文相,厚相を歴任,特に社会保障に力を尽した。 40年4月サベージの死後,首相。第2次世界大戦下および戦争直後のニュージーランドを指導。 45年の国際連合創設会議,46年の国連総会などで活躍。 49年選挙に敗れ下野した。

フレーザー
Fraser, George Sutherland

[生]1915.11.8. グラスゴー
[没]1980.1.3
イギリスの詩人,批評家。レスター大学英文学講師。 1930年代の政治的傾向に反発する「新黙示派」の詩人として出発,第2次世界大戦後イギリスの文化使節として訪日,東京大学その他での講義が『現代作家とその世界』 The Modern Writer and His World (1953) となった。『故郷の哀歌』 Home Town Elegy (1944) などの詩集のほか,評論集『幻想と修辞』 Vision and Rhetoric (1959) ,イェーツ論,パウンド論,日本印象記などがある。

フレーザー
Fraser, Bruce Austin, 1st Baron Fraser of North Cape

[生]1888.2.5. モルージ
[没]1981.2.12. ロンドン
イギリスの海軍軍人。 1902年海軍に入り,第1次世界大戦には砲術将校として活躍。 33年に海軍軍需品部長となり,第2次世界大戦では海軍の拡張に尽力。 43年 12月旗艦『デューク・オブ・ヨーク』に乗船,ドイツ戦艦『シャルンホルスト』をノルウェーのノースケープ沖で撃沈した。 44年海軍大将としてイギリス太平洋艦隊を指揮し,45年9月東京湾上で日本の無条件降伏の書類に調印。 46年貴族に列せられ,48年元帥,48~51年海軍本部委員長 (軍令部長) 。

フレーザー
Fraser, Claude Lovat

[生]1890.5.15. ロンドン
[没]1921.6.18. サンドゲイト
イギリスの画家,舞台美術家。幻想的でロマンチックな舞台装置で知られ,ドラマ,バレエ,オペラの各分野で活躍。代表作は 1920年のリリック劇場における『お気に召すまま』『乞食オペラ』の装置。

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百科事典マイペディア 「フレーザー」の意味・わかりやすい解説

フレーザー

英国の文化人類学者,民俗学者。リバプール大学教授。進化主義の立場に立ち,民族学や古典から資料を豊富に集めて比較研究し,呪術(じゅじゅつ)と宗教について,両者の区別や関連を論じた。またトーテミズムを呪術的観念から説いた。著書《金枝篇》《トーテミズムと外婚制》など多数。

フレーザー

英国の批評家,詩人。スコットランド生れ。評論集《現代作家とその世界》(1951年),《幻視と修辞》(1959年)や詩集《故郷の衰歌》(1944年)など。1950年―1952年文化使節として来日。

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世界大百科事典(旧版)内のフレーザーの言及

【呪術】より

…この見解はマリノフスキーによって否定されたが,呪術信仰の背後には,もちろん社会によって異なるが,当該社会で信じられている力の観念があると考えられる。
[呪術の諸類型]
 呪術の基盤にある原理によってJ.G.フレーザーは呪術を類感呪術homeopathic magicと感染呪術contagious magicとに分けた。類感呪術は模倣呪術imitative magicともいい,類似の原理に基づくもので,たとえば雨乞いのため火をたいて黒煙を出し,太鼓をたたいたり,水をふりまくのは雨雲,雷,降雨のまねである。…

【神話学】より

…この説も今日では,現地調査に基づく人類学の進歩によって,根本的に誤りだったことが明らかにされ,ようやく衰退した。しかしその立場から著された《金枝篇》に代表されるイギリスの古典学者・人類学者J.G.フレーザーの膨大な著作は,神話研究にとってきわめて貴重な資料の集成として,高い価値を現在でも失っていない。 現在の神話学を代表する権威の双璧は,フランスの比較神話学者デュメジルと,人類学者レビ・ストロースである。…

【聖婚】より

…この儀式は,地母神アスタルテ=アフロディテとその愛人である穀物神アドニスとの間に演じられる聖なる婚姻のドラマの再演であるとみなされていた。J.G.フレーザーによると,キプロスにおけるこのような儀礼は,地母神をまつるすべての神殿に共通にみられ,女性は神殿において,しばしば神にみたてた見知らぬ客人に処女を捧げる役割を演じたという。 地母神の名は地域によって変化し,キュベレ(小アジア),イシュタル(バビロニア),イシス(エジプト),アフロディテ(ギリシア),アスタルテ(フェニキア)など呼称は大きく相違しているが,基本的性格はまったく変わらない。…

【涙】より

…ヤコブは従妹ラケルに会ったとき,口づけして声をあげて泣いた(旧約聖書《創世記》29:11)。これをJ.G.フレーザーはただの慣習的な挨拶だろうと推測し,ほかにも似た例を挙げている。それによると,ニュージーランドのマオリ族が友人との別離だけでなく歓迎の際も激しく涙を流し,合図とともに泣きやむこと,同様のことはアメリカ・インディアンの間にもみられたと16,17世紀の探検家たちの記録にあり,インドなどにも女の涙の歓迎挨拶があるという(《旧約聖書のフォークロア》)。…

【女神】より

…古代人にとって,農耕は植物生命再生の神秘のドラマであり,決して単なる技術ではなかったというのである。J.G.フレーザーは《金枝篇》で,これを大地の上で演じられる壮大な死と生のドラマとして美しく描きだしている。それは植物霊を象徴する男神の死を悼む女神の慟哭にはじまり,その復活再生の祈願を経て,熱狂的な再生の歓喜で終わる一連の儀礼として定型化されていた。…

※「フレーザー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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