ブット(Benazir Bhutto)(読み)ぶっと(英語表記)Benazir Bhutto

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ブット(Benazir Bhutto)
ぶっと
Benazir Bhutto
(1953―2007)

パキスタンの政治家。ブットーともいう。シンド州北部ラルカーナー県の大地主の家系で、祖父の代から政界でも有名なブット家に、父ブット(ズルフィカール・アリー)、母ヌスラットの長女として生まれ、ハーバード大学およびオックスフォード大学で政治学・国際関係を学んだ。連邦政府首相の父が1977年の軍部クーデターで投獄、1979年に処刑されてからは、母とともにパキスタン人民党PPP)共同議長としてジアー・ウル・ハック軍事政権と対決して反軍政のシンボルとなり、同時に投獄・軟禁・亡命生活を強いられた。1988年の民政回復後の総選挙では、「イスラム社会主義」の看板を下ろして中道政党に転換した人民党が第一党となり、世界で最年少、イスラム圏で最初の女性首相となったが、軍部の意に沿う大統領によって1990年に解任、さらに1993年総選挙で返り咲いたものの1996年に再度解任された。どの政権担当期も連立内閣で政策実績に乏しいうえ、実業家の夫ザルダリAsif Ali Zardari(1956― )の不正行為を含めて腐敗が目だち、下野後職務責任追及の矢面に立たされた。1997年総選挙で政敵ナワーズ・シャリーフのパキスタン・ムスリム連盟大敗を喫した。その後、首相在任中の汚職等に関する訴追を逃れるため、家族とともにアラブ首長国連邦ドバイに亡命した。2007年10月、パキスタンの大統領令により訴追が免除される方向となったのを受け帰国した。彼女をねらった爆破テロの発生、また一時軟禁されるなどの事態となったが政治活動再開、同年12月27日に翌2008年の総選挙に向けた集会で演説を終えた直後に暗殺された。

[浜口恒夫]

『読売新聞社外報部訳『運命の娘ベナジル・ブット自伝』(1990・読売新聞社)』

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