ブット(Zulfiqār Alī Bhutto)(読み)ぶっと(英語表記)Zulfiqār Alī Bhutto

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ブット(Zulfiqār Alī Bhutto)
ぶっと
Zulfiqār Alī Bhutto
(1928―1979)

パキスタンの政治家。ブットーともいう。シンド州ラルカーナー県で名門大地主の家に生まれる。1950年カリフォルニア大学卒業、1952年オックスフォード大学法学修士、弁護士資格を取得。1953年帰国後弁護士を開業。1958年10月アユーブ・ハーン軍事政権の商業相に就任、1963~1966年外相として親中国政策を推進した。1966年大統領と対立して下野、1967年「イスラム社会主義」のパキスタン人民党創立、1970年総選挙で人民連盟に次ぐ第二党に躍進した。1971年バングラデシュ独立後のパキスタン大統領に就任、1973年第三次共和国憲法の施行首相となり、土地改革、銀行・主要工業国有化などの革新的政策を実施した。1977年3月以降反政府運動が激化し、7月ジアー・ウル・ハック陸軍参謀長(のち大統領)のクーデター失脚、1979年4月4日処刑された。彼の死後未亡人と娘ベーナジールがパキスタン人民党の指導者として、民主化運動を行い、ベーナジールは1988年にイスラム圏初の女性首相となった。

[浜口恒夫]

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