日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ブラント(Sir David Brunt)
ぶらんと
Sir David Brunt
(1886―1965)
イギリスの気象学者。ウェールズのモントゴメリー県の小村に生まれる。18歳のとき、ケンブリッジ等の数学優等資格をとり、ニュートン奨学資金も受けた。バーミンガム大学で数学を講義(1913~1915)したが、のちモンマウス師範学校でも数学を講じた。そのころ天文学に興味を抱き、ケフェウス型変光星や太陽物理について研究した。観測結果を整約することにも興味をもち、1917年には『観測値の整約』を書いた。第一次世界大戦中は、最後の2年間、陸軍・空軍のために天気予報をし、復員後は気象局内の陸軍部の監督官となった。1920年、W・N・ショーが気象局を退職し、ロンドン大学インペリアル・カレッジのパートタイムの教授となったとき、ブラントは講師として招かれた。そしてショーのあとを受け、イギリスで初めての気象学の大学教授となった(1934~1952)。
1934年に書いた『物理的および力学的気象学』は、英文で書かれた最初の理論気象学書である。1939年刊行の改訂版の序文のなかでブラントは、「この本のなかには天気予報のことは書かれていない。予報について書くとするとさらに一冊の本が必要となるが、もしそれができたとしても、その本を精読するだけで天気予報ができるかどうかは疑わしい。天気予報にはもちろん物理理論による基礎が必要だが、純粋に理論的に行えることではなく、実践と経験をも必要とする一つの技術artである」という意味のことを述べている。
[根本順吉]