精選版 日本国語大辞典 「ブルガーニン」の意味・読み・例文・類語
ブルガーニン
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ソ連の政治家。1917年にボリシェビキ党に入党、十月革命後の内戦期に出身地ニジニー・ノブゴロドの反革命取締委員会で活動し、カガノビチ、モロトフ、ミコヤンらの知遇を得た。1922年に経済部門に転じ、1927年に全国有数のモスクワ電気工場の工場長となった。1931年にはモスクワ・ソビエト議長に抜擢(ばってき)され、地下鉄網の建設など首都の発展に尽力した。1937年ロシア共和国首相、1938年国立銀行総裁兼ソ連副首相に昇進。独ソ戦が勃発(ぼっぱつ)すると前線で活動して1942年中将、1944年国防次官。戦後、軍事相兼副首相、ソ連共産党中央委員会政治局員、元帥。1955年、首相マレンコフと党第一書記フルシチョフの権力闘争で後者を支持し、マレンコフ解任を受けて首相に就任。以後3年間の在任中フルシチョフとのコンビで諸外国を歴訪し、平和共存外交を推進した。しかし国内面ではフルシチョフの進める経済政策、とくに工業再編成構想に批判的で、この問題を軸に1957年にモロトフ、マレンコフらといわゆる「反党グループ」を形成してフルシチョフ追放を謀った。そのため翌1958年首相の地位をフルシチョフに奪われ、失脚した。
[原 暉之]
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1895~1975
ソ連の政治家。1920年代には経済面で活動し,31年にモスクワ・ソヴィエト議長になり,軍事相,副首相を歴任した。55年マレンコフ辞任後首相となり,フルシチョフとともに新路線を進めたが,57年失脚。
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…スターリン批判はハンガリー事件のように東ヨーロッパでの動揺を呼び起こし,それがソ連国内の再引締めを招いた。しかし,スターリン派のモロトフらがフルシチョフ追落しを策して,逆に失脚すると,フルシチョフの地位は盤石のものとなり,58年ブルガーニンから首相の職を取り上げ,党第一書記と兼任するにいたった。 彼は平和共存を唱えて,59年にはアメリカを訪問した。…
※「ブルガーニン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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