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ブルンジ内戦 ぶるんじないせん

知恵蔵の解説

ブルンジ内戦

1994年10月にツチ族、フツ族穏健派の連合政権が発足したが、96年7月25日、ツチ族主体の国軍がクーデターを起こし、ブヨヤ元大統領を長とする軍事政権が成立した。このクーデターに対し、ガリ国連事務総長(当時)は武力による政権交代を認めないと声明、国連安保理もそれに同調した。8月初めタンザニア、ケニア、ウガンダ、ルワンダが経済制裁を発動し、これによりブヨヤ軍事政権は窮地に追い込まれた。99年10月に死去したニエレレ元大統領に代わって、同年12月マンデラ元南アフリカ共和国大統領が仲介役に就任。2000年8〜9月、ブルンジ和平会議がタンザニアのアルーシャで開かれ、和平が合意された(アルーシャ合意)。しかし暫定政府の構成をめぐり対立、合意は崩壊した。01年7月、マンデラはツチ族とフツ族からそれぞれ大統領、副大統領を出すという新提案を提示、19代表のうち14代表が調印したものの、反対派の戦闘は続いた。03年11月、国内最大の反政府勢力「民主防衛軍」(FDD)が和平に合意したが、いまだ完全な停戦には至っていない。04年5月、国連安保理は5650人の平和維持軍(ONUB)の派遣を決議、7月に派遣された。05年7月、総選挙が実施され、フツ系の民主防衛国民会議・民主防衛軍(CNDD‐FDD)が勝利。同年8月、ブルンジ議会は、同党党首ピエール・ヌクルンジザを大統領に選出した。

(林晃史 敬愛大学教授 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

ブルンジ内戦

93年、多数派フツ族出身の大統領暗殺をきっかけに内戦が始まった。翌年、大虐殺が起きたルワンダからフツ難民20万人が流入し紛争は激化。00年の和平協定成立で、フツ、ツチ合同の暫定政府ができたが、フツ系反政府勢力のうち「解放国民軍」は現在も武装解除していない。内戦の死者は推定30万人。内戦の遺児は計84万人。

(2007-01-08 朝日新聞 朝刊 1外報)

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