ブーニン(Ivan Alekseevich Bunin)(読み)ぶーにん(英語表記)Иван Алексеевич Бунин/Ivan Alekseevich Bunin

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ブーニン(Ivan Alekseevich Bunin)
ぶーにん
Иван Алексеевич Бунин/Ivan Alekseevich Bunin
(1870―1953)

ロシアの詩人、小説家。中部ロシアのボロネジで、かつて詩人アンナ・ブーニナ、ワシーリー・ジュコフスキーを生んだ地主貴族の家で10月22日に生まれ、少年期をブティルカの地主館で過ごす。11歳のときエレーツ中学校に入るが、数学が嫌いで4年で退学。しばらくの間大学出の兄について勉学、以後独学。1887年詩人ナドソンの追悼詩『ナドソンの墓前で』で詩人としてデビュー。『オリョール通信』記者時代にワルワーラ・パシチェンコと同棲(どうせい)するが、5年で別れる。トルストイに私淑し、一時トルストイ主義の普及活動に従う。95年チェーホフ、ゴーリキーと知り合い、シンボリズムの詩人たちとも交際する。98年アンナ・ツァクニと結婚するが、2年足らずで離婚。1903年詩集『落葉』でプーシキン賞受賞。同年オリエントに旅し、東洋思想に興味をもつ。09年、農奴解放後の農村を舞台にロシア人の魂を探求する長編『村』を発表、文名を高める。この年、二度目のプーシキン賞を受け、アカデミー名誉会員になる。15年、乾いた客観的筆致で、アメリカ人ブルジョアのぜいたくな旅行とそのむなしい死を描く『サンフランシスコから来た紳士』、翌年、軽い嘆息を美女の要件と考える魅力ある女の死を描く『軽い嘆息』を発表。作風韻文散文とも古典的格調をもち、簡潔で暗示的描写を得意とする。20年、革命の暴力と破壊を憎んでフランスに亡命。のちに正妻となるムロムツェワの献身的助力で南フランスのグラースで執筆を続け、恋の陶酔と死の結び付きを特色とする珠玉の作品を次々に発表し、『暗い並木道』(1937~49)1巻にまとめる。一方、自伝小説アルセーニエフの生涯』(1927~35、決定版1952)を書き継ぐ。33年、ロシア人で最初のノーベル文学賞受賞。第二次世界大戦中は病気と困窮のうちに過ごし、戦後はソ連への帰国を勧められるが断り、53年11月8日パリで没した。

[佐藤清郎]

『草鹿外吉訳『サンフランシスコの紳士』(『世界短編名作選 ロシア編』所収・1976・新日本出版社)』『高山旭訳『アルセーニエフの青春』(1975・河出書房新社)』

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