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ブー・サイード朝 ブー・サイードちょうBū Sa`īd

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブー・サイード朝
ブー・サイードちょう
Bū Sa`īd

オマーンの現王朝。 1964年まで続いたザンジバルの王朝もオマーンの王家の分家。イスラム教イバード派イマームとして,1749年頃より,オマーンと東アフリカ海岸地帯を支配。マスカットがその首都。ポルトガルとオランダの進出に対抗して支配権を維持したが,98年,イギリスの東インド会社と条約を締結してその保護下に入る。 1856年,50年間にわたって君主位を保持していたサイードの没後,王朝はオマーンと東アフリカのザンジバルとに分れた。オマーンの王家は今日まで続いているが,ザンジバルの王家は東アフリカの海岸都市を次々と失い,最後まで保持していたザンジバル島も 1964年の島の革命によってタンザニアに併合され,王朝は滅亡した。

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世界大百科事典内のブー・サイード朝の言及

【オマーン】より

…以来,イギリスはオマーンにおける独占的影響力を行使する。一方,1744年ペルシア勢力の駆逐に成功し,イマームに選ばれたアフマド・ブン・サイード・アルブー・サイードAḥmad b.Sa‘īd al‐Bū Sa‘īdは,今日まで続く世襲的首長制を導入したが(ブー・サイード朝とよばれる),1783年の彼の死後,支配権が二分され,マスカトを拠点とする世俗的な首長と内陸ニズワーNizwāを拠点とする宗教的なイマームによる二元統治が始まり,両者の抗争期に入る。この間,首長勢力はインド洋世界の通商を拡大し,東アフリカにまで領有地をつくった。…

※「ブー・サイード朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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